日本文化的特色

第十二课

日本文化的特色

东方文化多起源于印度和中国,日本文化既然为东方文化的一部分,有很多地方与印度和中国的文明有其共同的一面,这是不言而喻的。但是,我们透过这共同的一面,进一步观察日本特定的固有的文化性质是极为有趣的,也是十分重要的。日本文化中固有的东西都来自于日本美丽和丰富的自然,来自于日本自然的纯朴。地区不同,四季的变化也不尽相同。既有被严冬冰天雪地封锁的地方,也有一年四季不见霜雪的地方。但这些地方拥有自己美丽而让人愉快的四季。水是那么地澄清,生喝都无妨健康。蔬菜的品种是那么地多,那么地丰富。连花草树木都是那么地繁多且柔和美丽。在这美丽的大自然中,自然而然地在文化中产生了运用自然本色的精神。日本人不反抗自然,他们顺应自然,因此与自然共存也是理所当然的了。

日本文化的重要特色之一其实就在这里。即尽可能地运用自然,采纳自然。他们尽可能地排除人工因素去发挥自然所具有的美。在必须使用人工的时候,就在它旁边添上一点自然。例如,槲树叶包年糕就是一例。单把年糕放在碟子里端出来,那就是纯粹的人工之作。因此日本人就在旁边添加了些自然,也就是用槲树的叶子把年糕包起来然后端出来。既适应人工,又使它在任何地方都不失掉自然的味道。

这种不想失掉自然的心情,无论何处都是伴随着日本文化的一个原则。无论是建筑、绘画、甚至烹调,都无一不尽可能地利用自然的颜色和味道,即使要用人工或技术,那也是一种如何利用自然的人工和技术。例如,柱子就用木头本身所具有的本色和木纹。又如食物,就尽可能地运用并不破坏蔬菜原有的生的味道和形状。例如揉黄瓜呀腌萝卜,如是鱼,就有生鱼片啦加盐烤鱼等等,这些都是尽可能地保持其原有的自然禀赋。而中国菜大都毁掉原料本来的面貌,用人工做成完全不同于原物的东西。把两者加以比较,日本文化的特点就显而易见了。

日本菜往往在生鱼片的旁边添上菊花,或者添上用萝卜、胡萝卜切成的细丝,始终留意不让它离开自然。而且这种做法不只限于烹调,建筑、家具、服装也都贯穿着这一原则。

在普通人的眼里,自然这东西极其单调乏味。要从平凡的自然中发现它的美,没有高度的欣赏力是做不到的。美术发达史也是在美的意识相当发达之后才形成的。

有种看法认为,所谓文化就是人类如何征服自然,即以自然为素材,并把这些素材做成不同于自然的东西。离开自然越远,文化的程度就越高。

既然日本人也是人类,在人情上就不可能有太大的差异。方便的东西就是方便,美味的东西就是好吃。因此,如果说日本人无视文化物质方面的东西,那就错了。

但是,日本文化的前提并不是要战胜自然,而是与自然共存。用檞树叶来包年糕并不是让舌头或肚子享受,而是让食物雅致,让眼睛得以享受。

有人说日本人之所以享受自然是因为日本人生活贫困,文化程度低的关系。很明显这是一种肤浅的看法。这种看法忽视了不同的文化背景,总之是一种浮浅的见解。

其理由就如上所述,是因为日本自然本身的美,是美的意识得到升华的结果。他们不将人工和自然分离,而把两者紧密地结合起来,使之成为一个有机的文化整体。

第十二課

日本文化の特色

東洋の文化は多く印度や中国にその源を持つものでありますから日本文化が東洋文化の一部である以上、印度や中国の文明と共通面の非常に多い事は申すまでもありません。しかし、そういう共通面よりさらに進んで、日本だけに固有な文化の性質を観察する事は極めて興味あり、かつ重要な事であります。日本文化に固有なものは日本の自然の美しさ豊富さ、清らかさから来ているのであります。土地によって四季の変化が違っている。冬はすっかり凍って氷に閉ざされる所もあれば、ほとんど雪を見ない所もある。しかし、その四季はそれぞれに美しく楽しい。水は清くすんで、そのまま飲んでも害にならない。野菜は種類も多く、豊富である。木も花も種類が多くやさしくて美しい。そういう中では、おのずから文化の中に自然の持ち味を生かして使おうという精神が生まれるのでありまして、日本人が自然に反抗しようとせず、これに順応して自然と共に生きようとしたのは当然であります。

日本文化の重要な特色の一つは実はここに存するのであります。即ち出来るだけ自然を生かし、自然を取り入れて行くという事であります。出来得る限り人工をのぞき、自然の持っている美を発揮させようとする。もしどうしても人工を用いなければならぬものには、それに自然をそえるのであります。例えば、かしわもちの場合はそれであります。もちだけ皿にのせて出したのでは、人工をそのまま皿にもっただけであります。そこで,これに自然をそえる。即ちかしわの葉で包んで出すのでありまんす。人工に即してはいますが、どこまでも自然を見失うまいと隨したのであります。

この自然を見失うまいとする心は、どこまでも日本の文化に关』ついてまわっている一つの原則なのであります。建築でも、絵画でも、また料理などに至りましても、みな等しく出来得る限り自然の色や味を生かして使おうとし、もし人工とか技術とかをつか用いるとしても、それはいかに自然を生かすかという事の為の

出人工であり技術であるのであります。例えば柱なら木自身の持っている元のままの色や木目を出して行く。食べ物なら野菜そのものの生の味や形をなるべく損なわないように生かして行こうとするのであります。きゅうりもみとか大根の浅づけとか、魚ならさしみとか塩焼きとかいう風に、自然を出来るだけ保存くして行こうとします。これを中華料理があくまで物の原形を殺し、こわして全く個別の人工の物として出すのと比べてみると、明らかにその特質が判るのであります。

日本料理ではさしみのつまに菊の花をそえたり、大根や人参を細く系に切ったものをそえたりして、いつも自然から離れなきいように心がけます。そしてこれはひとつ料理のみには限りません。建築にも家具にも衣服にも常につきまとっている原則であります。

普通の目では自然というものは単調な至ってつまらないものであります。何でもないこの自然の中に美しさを見出すことは、余程目が高くないと出来ないのでありまして、美術の発達史を見ましても、余程美の意識が発達してから後に生まれた事であります。

ある考え方からすれば、文化とはいかに人間が自然を征服し、自然を素材としながらも自然と別のものを作ったかという事であって、自然を離れれば離れる程、文化の高さをしめすものであります。

日本人だって人間である以上、人情にそんなに違いのあるはずはありません。便利なものは便利だし、おいしい物はおいしいに極まっています。従って、日本人が文化の物質的方面を無視するというならば、それは間違いであります。、そんなはおはなっしかし、日本文化の建前は自然を負かす事ではなく、自然と共に生きる事であります。かしわもちが葉に包まれている事は何も舌先やおなかを楽しませる為ではない。食べ物におもむきをそえ、見た眼を喜ばせる為であります。

ある人は日本人が自然を楽しむのは生活が貧乏で文化が低い超向からだと申しますが。これは明らかにうすっぺらな見方であります。即ち文化の建前が違うという事に気付かぬ皮相の見解であります。

そうなった理由は、すでにお話し申し上げましたように、日本の自然そのものが美しい事と、美の意識が洗練された結果、入工と自然とを別々に切り離さず、双方を固く結び合わせて一つの文化を作るようになったからであります。

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作者:倾城
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来源:TechFM
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