藤花
若山牧水
翻译 王志镐
我从五六岁时开始就患上了牙病。于是到了我十岁那年春天,为了上村里没有的高等小学,到离开村子有十里路的城下镇父亲的熟人家寄宿,在那里连续一二年都忍受着牙疼的煎熬。
离我住处二三个门面的那家邻居,有一位叫做铃木阿健的好朋友,是与我同年级的学生。在孩子的眼里,他已迥然是一个美少年。阿健的阿妈是个很好的人,在孩子的眼里,她是个美人。阿健有两个妹妹,我想她们有七到九岁的样子。有一天,阿健的阿妈见我牙疼,就带着我和三个孩子去邻村参拜据说能止住牙疼的水神。
水神住在离开村里人家的溪流岸边。在断崖上岩石的一个地方挖出来的洞里,建有一个小小的宫殿,在那正下方,有清澈见底的一汪深渊。参拜结束后,我们在宫殿前窄小的岩洞里坐下,开始吃便当。
那一天,我的牙刺啦刺啦地疼。于是到了点灯时,我的心情就很不好,想要流泪。膝盖顶着膝盖,我与三个漂亮的伙伴和他们的阿妈并排坐着,觉得被他们看见哭泣的脸真是难为情。正当我一边吃便当,一边感到很难受的时候,突然我将视线挪开,在宫殿侧面,深渊上方,沿着岩石,有一束盛开着的淡紫色藤花,开花的枝条垂悬着。
一提起藤花,我就总是想到那天的事情。
藤の花
若山牧水
私は五六歳のころから齒を病んだ。そして十歳の春、私の村にない高等小學校に入るために、村から十里離れた或る城下町の父の知人の家に預けられ、其處でも一二年續いて齒痛のために苦しめられた。
預けられた二三軒先の隣に鈴木の健ちやんといふ仲よしの同級生がゐた。子供の眼にもつく美少年であつた。その健ちやんの阿母さんが非常に優しい人で、それこそ子供の眼にもつく美しい人であつた。健ちやんに二人の妹があつた。その人たちが七つに九つといつた年ごろであつたとおもふ。或る日、健ちやんの阿母さんは私の齒痛を見かねて、その三人の子供と私とを連れて齒痛どめの神さまとして知られてゐる附近の村の水神さまにお詣りに行つてくれた。
水神さまは村の人家からずつと離れた溪川の岸に在つた。岩の斷崖の一部を掘り窪めたやうなところに小さなお宮が建てゝあり、その眞下は底も見えぬ清らかな淵となつてゐた。お詣りが濟むと我々はお宮の前の狹い狹い岩の窪みに坐つてお辨當を開いた。
その日もしく/\と私は齒が痛んでゐた。そしてともすると涙を落したい樣な氣持になつてゐた。膝を押し並べた三人の美しい友だちとその阿母さんとに泣き顏を見られるがいやさに、お辨當をたべわづらひながら、ふと眼をそらすとお宮の横から淵の上にかけて眞盛りのうすむらさきの藤の花が岩を傳うて咲き枝垂れてゐるのであつた。
藤といふと、いつもその日の事を思ひ出す。
2016.10.24.
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