自由へ
前にも言われた鮎永麻琴さんのスピーチをもう一回聞いた後、その「自由への切符」というテーマと「レッテル」というキーワードについて、新しい感想ができた。彼女のように、人が自分に貼っているレッテルと、自分が自分に貼っているレッテルを剥げたい。
鮎永さんは今までいろんな仕事をやってきた。スノーボートで全日本チャンピオンとなってワールドカッププロサーキットを転戦したり、国際線の客室乗務員は十年以上やった。世界のいろんな町や国、都市に行くことができた。口コミビジネスでは大きな組織を作った。彼女の組織は海を越えて世界へ広がっていきた。ニューヨークに住んで写真の学校に通ってフォトグラファーとなって写真集を出版したりもした。最近までやっていた仕事は言語対話領域を扱う人工知能の開発販売をする会社のマーケティングの総責任者CМОだった。
鮎永さんが言ったように、周りの人が彼女に持っている印象、即ち、レッテルと言えば、頑張り屋さんだねっ、チャレンジャーだね、何でもできるんだねー、すごいね…こんなものが多かった気がする。でも、彼女によって、実はこれがとても苦しかった。
それぞれの人が持つレッテルこそがその人の個性を表し、そして個性その人らしさ、そんなものを生み出す。素晴らしくてとても大切な要素だ。しかし一方でこのレッテルは私たちの人生の物の見方なんかに制限を付けて、聞いては生きづらささえも生み出す要素にもなる。言い換えますと、レッテル付けは先入観、固定概念、既成概念或いは思い込みなんかという言葉に言い換えるかもしれない。
私は鮎永さんの話に大いに賛成している。それも私が自分自身に貼ってしまっているレッテルに気づくきっかけになれた。鮎永さん、進む自由へのちょっと先で待ってください。
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