每个人都从孤单开始

远藤周作

动物和小鸟进入我的生活,对我产生重要意义是从父母关系恶化那吋开始的。

我家有一只普通的黑狗,叫小黑。

小黑并不是品种纯正、带有血统证明的名犬,说来只不过记那种随处可见的杂种狗。

它从小被我家收养,当然,对于小学生的我来说,它是很好的玩伴和朋友,但也仅此而已。

当时允许狗类放养,因此我去上学的时候,小黑常常跟在我的后面。

即使我赶它骂它,它也只是稍稍停下脚步,然后显出一副诧异的神情,又追了上来。

我上课的时候,它也总是在校园里转来转去,追着什么玩耍。我从教室的窗口看到它胡闹的身影,总担心会不会挨老师的骂。

就是这小黑,在我父母闹翻之后,成了我最宝贵的,唯一的倾诉对象。

孩子对可能要离婚的父母不知如何是好的复杂心情,是无法向学校里的朋友坦白的,也不能相老师说,眼看着成绩降了下来,老师生气地批评我说:

“我可是听说你放学的路上一直在到处乱逛。”

老师这么说,可我无法辩解,我不能解释说是因为不想回到那个阴沉郁闷的家。

当我不情愿地拖着沉重的步伐回到家附近,只见小黑狐疑地站在对面,从远处望着我。当发现是我时,一溜烟地跑了过来。

“放开!我叫你放开!”

我恶狠狠地赶开一无所知、朝我扑来缠着我的小黑,它用悲伤的眼神凝视着我。这时,我向它倾吐自己的苦闷。

“我觉得真没意思。”

它只是悲哀地注视着我。

“我讨厌这样的每一天。”

然而,在小狗湿润的眼中,我确实一直感到了某种慰藉。小黑的眼里闪烁的爱的光芒让我想哭。如今,虽经过了漫长的人生岁月,但我仍然记得它的眼神,那种对一个少年的苦闷表示理解的眼神……

从此,小黑不再仅仅是我的玩伴,它对我而言有了更重要的意义。从那时起,不光在当时,在以后的人生中,狗和小鸟都成了我的倾诉对象。

比如,二十年前,我经过三年的住院生活,两次手术失败,精神上大受打击,晚上我惟一的说诉对象就是病房里养的—只八哥。   

夜深人静的病房里,我担心於种种事情,睡不着。往床下的鸟笼里看去,八哥睁着黑亮的眼睛,微斜着头。

我对它说:“我……快不行了吧?”

它回答道:“谢谢!”,

“还是应该动手术吗?”

“谢谢!”

我请医生动第三次手术。虽然危险,但别无他法。手术那天天气寒冷,我身体衰弱,以致心脏一时间停止跳动,不过最终好歹捡回了一条命。大家竭尽全力地看护我,忘了放在阳台上的八哥笼。它被深夜里的严寒给冻死了。

一层白膜覆盖着它曾经发亮的眼睛。我总觉得它好像是做了我的替身。

人生中有时把狗或小鸟作为苦闷时的朋友。

至今,我仍然记得,而且不时想起少年时代,倾听我诉说悲哀时小黑的脸。譬如,傍晚时分,暂时停下手里的工作,听着窗下邻家的女孩孤单地唱着歌时……   

(摘自《一直爱一个人》)

誰でも一人ぼっちから始まる

遠藤周作

動物や小禽たちが私の人生に入ってきて、意味を持ちはじめトたのはたしかに両親が不和になりだしてからである。

私の家には平凡なクロという名の黒犬がいた。

別に由緒ただしい、血統書つきの犬ではなく、いわば何処にでもいる雑種の犬にすぎなかった。

仔犬の時にわが家にもらわれてきた彼は当然、小学生の私にとって、よき遊び友達であり、仲間であったが、しかしそれ以上の何ものでもななった。

当時は犬は放し飼いがゆるされていたからクロは私が学校に行く時、よく、うしろからついてきた。

追っても、怒っても彼は少し足を停めるだけで、あとは怪訝そうな顔をして、また、、ついてくるのだった。

そして授業中もよく校庭をうろうろとしたり、何かを追いかけて遊んでいた。教室の窓から私は彼の勝手な姿をみて、先生に叱られないか、はらはらとした。

そのクロが、両親が不和になってからは、私にとって、かけがえのないただ一人の話し相手になった。

離婚するであろう父や母に、どうしていいかわからぬ子供の複雑な気持を、私は学校の友だちにうち明けるわけにはいかなかった。先生にも話すことはできなかった。成績は眼にみえて落ち、先生は腹をたてて私を叱った。

「お前は学校の帰り、あちこちを寄り道しているそうだな」

先生にそう言われても私には弁解するわけにはいかない、暗く沈んだ家に帰りたくはないのですと事情を説明するわけにはいかない。

そういう時、気のすすまぬ重い足を曳きずるようにして家の近くまで戻ると、向うでクロがいぶかしげに立ちどまって私を乞遠くから見ていた。そして、私だと気づくと一目散にかけてくる。

「やめろよ。やめろってば」

なにも知らず、飛びつき、まつわりつくクロを邪険に払うと、彼は悲しそうな眼で私を凝視する。

そんな時、私は彼に自分の苦しさを訴えた。

「面白くないんだ。ぼくは」

彼はただ悲しげにわたしを直視するだけだ。

「もうイヤだ。こんな毎日は」

しかし、そのうるんだ犬の眼に、私はある慰めをいつも感じたことは確かである。あのクロの眼のなかには、私が泣きたいような愛情の光があった。長い人生の歳月がたった今でも私は彼の眼差しを憶えている。少年の私の悲しみを理解してくれたあの眼差しを……。

その時から私にとって、たんに遊び友だちにすぎなかったクロが大切な意味を持ちはじめた。その時だけでなく後の人生でも犬や小禽が私にとって話し相手になってくれたのは、あれが切っ掛けだった。

たとえば二十年前、三年間の入院生活のあと二度の手術が失敗し、精神的にも参っていた私にとって、ただひとつの夜の話し相手は病室に飼った一羽の九官鳥だった。

深夜、ねしずまった病室で、あれこれと悩みながら眠れぬ私がベッドの下の鳥籠をのぞきこむと、九官鳥はくろい光った眼をじっとあけて、少し首をかしげていた。私が「俺は…·もう駄目かなあ」

と話しかけると、彼は答えた。

「ありがと」

「手術をしたほうがいいか」

「ありがと」

私は危険だが、それしか手のない三度目の手術を医師にたのんだ。さむい日の手術で衰弱した体のために心臓が一時停止したが、どうにか助かった。みんなは私の看病に精一杯で、ベランダにおいた九官鳥の籠のことを忘れていた。夜なかのきびしい寒さで、彼は死んでしまった。

白い膜が彼のあの光った眼を覆っていた。私には彼が私の身がわりになってくれたような気がしてならなかった。

人は犬や小禽をせつない友として相手にする時が人生にあるのだ。

今でも私は少年の頃、私に悲しみを訴えられてそれを聴いてくれたクロの顔を憶えている。それを思いだす。夕暮など、仕事の手をやすめて、窓の下で近所の少女が一人ぼっちで唄を歌っているのを聴いている時など……。

『ひとりを愛し続ける本』による

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作者:Alex
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来源:TechFM
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THE END
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