熊的脚印
熊的脚印
德富芦花
勿来
听说因连日风雨富田东北线开通了,明治四十三年九月七日早晨,我从上野乘上了开往海岸线的火车。三点多在关本站下车,乘车前往平潟。
平潟是有名的渔场。海湾的南方,从城市到眼前的出岛,有一座栈桥,上面的脚桩像虾蛄爬来爬去的样子,十分值得一看。雨后的渔场,只有鱼腥味儿,血腥味。在静海亭放下行李,借了旅馆的木屐伞,开车去参观勿来关址。
从常陆进入城镇边缘的隧道,来到磐城。沿着波涛起伏的冷清海滨街道走了一会儿,在一家茶馆下了车。有奈古曾石碑的印刷品、松树和贝壳的化石、画明信片等出售。让车夫背着鹤子,余等小心脚下打滑/铁路道口,沿着山田河畔向关迹方向攀登。道路狭窄,歌声飘散,芳野樱泽山植。都是小树。沿路进入山里,胡枝子、女郎花、地榆、桔梗、苅萱,踏着满山最繁盛的秋天上山。鹤子握着车夫折给她的一枝颜色浓郁的桔梗走了。
从滨街道的茶馆走上十丁点儿,来到关址。在狭窄如马脊的山上,有十四五棵被称为“鞍部松”、“八幡太郎弓松”、“马鞍松”的高大黑松,在太平洋风的吹拂下,在翠绿的树梢上飒飒作响。不是五六百年的东西。松树外没有特别古老的东西。石碑是嘉永的。茶馆虽然破败不堪,但已经过了夏天的今天,更不见游人的踪影,茶博士也不在。掬起弓扣清水,站在弓挂松下眺望。西边层峦叠嶂的磐城山上云雾缭绕,白蒙蒙。东面是太平洋,夕阳透过云层露出暗淡的光芒,显得一片朦胧。听起来像是鲣舟的摇橹节奏。以前通往奥州的海滨街道就是从这座山上经过的吗?八幡太郎也是在花雨中骑马经过这里的吗?歌还在,没有什么可以称为关址的痕迹,只有松风飒飒地吟着。人间的千年,实在是轻而易举就过去了。茫然地站着,有两个年轻百姓追逐着背满草地正在摇晃的马,从山顶下山,经过余等人面前,又向对面的山峰走去。
日落时分回到平潟的旅馆。水是温热的,厕所是无臭的,鱼是新鲜的,但菜肴是血腥的,我喝了水,会闻到一股咸味,而且会有很多蚊子熏黑。急忙躲进蚊帐,半夜下起雨来,雨滴打在头上,只好赶紧转移床铺,这是寂寞的第一夜。
熊の足跡
徳冨蘆花
勿來
連日の風雨でとまつた東北線が開通したと聞いて、明治四十三年九月七日の朝、上野から海岸線の汽車に乘つた。三時過ぎ關本驛で下り、車で平潟(ひらがた)へ。
平潟は名だたる漁場である。灣の南方を、町から當面の出島をかけて、蝦蛄(しやこ)の這ふ樣にずらり足杭を見せた棧橋が見ものだ。雨あがりの漁場、唯もう腥(なまぐさ)い、腥い。靜海亭(せいかいてい)に荷物を下ろすと、宿の下駄傘を借り、車で勿來關址(なこそのせきあと)見物に出かける。
町はづれの隧道(とんねる)を、常陸(ひたち)から入つて磐城(いはき)に出た。大波小波々(だう/\)と打寄する淋しい濱街道を少し往つて、唯(と)有る茶店(さてん)で車を下りた。奈古曾(なこそ)の石碑の刷物、松や貝の化石、畫はがきなど賣つて居る。車夫(くるまや)に鶴子を負(おぶ)つてもらひ、余等は滑る足元に氣をつけ/\鐵道線路を踏切つて、山田の畔(くろ)を關跡の方へと上る。道も狹(せ)に散るの歌に因(ちな)むで、芳野櫻を澤山植ゑてある。若木ばかりだ。路、山に入つて、萩、女郎花(をみなへし)、地楡(われもかう)、桔梗(ききやう)、苅萱(かるかや)、今を盛りの滿山の秋を踏み分けて上る。車夫が折つてくれた色濃い桔梗の一枝を鶴子は握つて負られて行く。
濱街道の茶店から十丁程上ると、關の址に來た。馬の脊の樣な狹い山の上のやゝ平凹(ひらくぼ)になつた鞍部(あんぶ)、八幡太郎弓かけの松、鞍かけの松、など云ふ老大な赤松黒松が十四五本、太平洋の風に吹かれて、翠(みどり)の梢に颯々の音を立てゝ居る。五六百年の物では無い。松の外に格別古い物はない。石碑は嘉永(かえい)のものである。茶屋がけがしてあるが、夏過ぎた今日、もとより遊人(いうじん)の影も無く、茶博士(さはかせ)も居ない。弓弭(ゆはづ)の清水(しみづ)を掬(むす)んで、弓かけ松の下に立つて眺める。西は重疊(ちようでふ)たる磐城(いはき)の山に雲霧白く渦まいて流れて居る。東は太平洋、雲間漏る夕日の鈍い光を浮べて唯とろりとして居る。鰹舟(かつをぶね)の櫓拍子が仄かに聞こえる。昔奧州へ通ふ濱街道は、此山の上を通つたのか。八幡太郎も花吹雪の中を馬で此處を通つたのか。歌は殘つて、關の址と云ふ程の址はなく、松風ばかり颯々と吟じて居る。人の世の千年は實に造作もなく過ぎて了ふ。茫然と立つて居ると、苅草を背一ぱいにゆりかけた馬を追うて、若い百姓が二人峠の方から下りて來て、余等の前を通つて、また向の峯へ上つて往つた。
日の暮に平潟(ひらがた)の宿に歸つた。湯はぬるく、便所はむさく、魚は鮮(あたら)しいが料理がまづくて腥く、水を飮まうとすれば潟臭(かたくさ)く、加之(しかも)夥しい蚊が眞黒にたかる。早々蚊帳に逃げ込むと、夜半に雨が降り出して、頭の上に漏つて來るので、遽(あわ)てゝ床を移すなど、わびしい旅の第一夜であつた。
浅虫
9月9日至12日,在奥州浅虫温泉停留。
开往青森的火车从背后驶过。枕头下面,陆奥湾的绿玉潮在呢喃着。西边可以看到青森的人烟,其背后可以看见津轻富士的岩木山。
来自青森的游客唱着歌说:“即使只陪你一夜,也还是短浅。”
五岁的鹤子第一次看见海鸥,说:“妈妈,白色的乌鸦在飞呢。
从海滨捡来的小石头,一个孩子和两个成人一起玩。十岁那年的夏天,我随父母乘船去萨摩边境探望祖父时,因为风太大,在海上漂流了二十五里,在天草岛整整十天。听尽了传说,难以长久生活下去,年近六十的父亲、年近五十的母亲和十岁的自己捡起小石子玩弹子游戏。今天笨拙的手数着小石子,不图想起了那件事。
走在海岸上,风帆贝壳堆积如山。浅虫吃的东西中,帆立贝柱上的天妇罗是最好吃的。海边到处都是瑰紫色的花,在海风中散发着香气。
野粪抛外,滨边玫瑰花
淺蟲
九月九日から十二日まで、奧州淺蟲(あさむし)温泉滯留。
背後(うしろ)を青森行の汽車が通る。枕の下で、陸奧灣(むつわん)の緑玉潮(りよくぎよくてう)がぴた/\言(ものい)ふ。西には青森の人煙指(ゆびさ)す可く、其背(うしろ)に津輕富士の岩木(いはき)山が小さく見えて居る。
青森から藝妓連(げいしやづれ)の遊客が歌うて曰く、一夜添うてもチマはチマ。
五歳(いつゝ)の鶴子初めて鴎を見て曰く、阿母(おかあさん)、白い烏が飛んで居るわねえ。
旅泊のつれ/″\に、濱から拾うて來た小石で、子供一人成人(おとな)二人でおはじきをする。余が十歳の夏、父母に伴はれて舟で薩摩境の祖父を見舞に往つた時、唯(たつた)二十五里の海上を、風が惡くて天草の島に彼此十日も舟がかりした。昔話も聞き盡し、永い日を暮らしかねて、六十近い父と、五十近い母と、十歳の自分で、小石を拾うておはじきをした。今日不器用な手に小石を數へつゝ、不圖其事を思ひ出した。
海岸を歩けば、帆立貝の殼が山の如く積んである。淺蟲で食つたものの中で、帆立貝の柱の天麩羅はうまいものであつた。海濱隨處に瑰(まいくわい)の花が紫に咲き亂れて汐風に香る。
野糞(のぐそ)放(ひ)る外が濱邊や瑰花(まいくわいくわ)
大沼
(一)
梅香丸把余等从青森送到函馆,列车疾驶四个小时,在津轻海峡疾驶,这是一艘新造的漂亮船,可是怕船的妻子终于喝醉了。即使在函馆码头的朴旅馆休息了一夜,他还是说头疼。坐下午的火车,直接去大沼。
函馆停车场是一个非常粗糙的停车场。候诊室里,一个穿着金缕袈裟、喝得烂醉如泥的和尚,正抓着一位留着长胡子的传教士,好像是法国人,正在卷起各种烟管。传教士笑着敷衍了事地走着。
开往札幌的列车离开了函馆的拥挤人群,桔梗、七饭等渐次向上行驶。就像翻皮一样,头脑变得轻松起来。以卧牛山为中心的巴形函馆,犹如一幅鸟瞰图,尽收眼底。
“放眼望去,大海碧绿,北方的秋天”从左边的窗户看出去,隔着津轻海峡碧绿的一片秋潮,遥远的津轻地区漂浮在水平线上。来到本乡,看见他醉僧下了火车,戴着富士形的黑帽子,拎着小形的绿色地毯包,步履蹒跚地走出检票口。车站的指示牌上写着:离江刺十五里。从函馆出发过了一个多小时,火车爬完山,经过大沼车站来到大沼公园。这是专为游客而设的停车场。在这里下车。两个服务生正在等着。余等人在引导下乘上了一艘插着红叶馆旗帜的小船。艄公行了个礼就走了,船夫划桨的声音嘎吱嘎吱响。
出了开满金色海藻花的海湾,宽阔的沼泽,久违的红秃驹岳突然跃上眼前。东方的肩头冒着若有若无的烟。余在明治三十六年夏天来的时候,火车还只开到森林里。大沼公园里也有两三家简陋的餐馆立在水边(右边)。驹岳火山喷发也是之后的事。然而,火车一直行驶到钏路,驹岳火山喷发,大沼仍在旧日仍晴,一片荒凉。时值九月十四日,但沼泽一带的枫树已开始泛红。橡树和白桦树上挂满的葡萄叶,像火一样燃烧着。空气清澈,水像镜子一样。列车往夫妇岛方向行驶着一艘小船。桨声静,我舟行,鸭飞千鸟飞。不久,船驶入一之湾,抵达红叶馆的下方。女佣人出来迎接。沿着种植了大量枫树的斜坡,被带到了面朝水面的一间屋子里。
虽然不知道京都的红叶馆,但这座红叶馆临大沼,面朝驹岳,名副其实,周围环绕着无数的红叶树,是一座漂亮的红叶馆。特别是夏天已过,现在旅馆也很冷清。用柴火进入温泉,在古色古香的煤油灯下,安静的女佣侍奉着沼泽鲤鱼、鲫鱼的菜肴,在寂静无声的山上,进入水边宁静的夜眠。
半夜里雷声大作。从防雨窗的缝隙间透出灯光。忽然,雨声飒飒。起床拉开一扇遮雨窗一看,月亮已经出来了,沼泽的水面上漂浮着萤火虫般的星星。
大沼
(一)
津輕(つがる)海峽を四時間に駛せて、余等を青森から函館へ運んでくれた梅ヶ香丸は、新造の美しい船であつたが、船に弱い妻は到頭醉うて了うた。一夜函館埠頭の朴(きと)旅館に休息しても、まだ頭が痛いと云ふ。午後の汽車で、直ぐ大沼へ行く。
函館停車場は極粗朴な停車場である。待合室では、眞赤に喰ひ醉うた金襴の袈裟の坊さんが、佛蘭西(フランス)人らしい髯の長い宣教師を捉へて、色々管を捲いて居る。宣教師は笑ひながら好い加減にあしらつて居る。
札幌(さつぽろ)行の列車は、函館(はこだて)の雜沓をあとにして、桔梗、七飯(なゝえ)と次第に上つて行く。皮をめくる樣に頭が輕くなる。臥牛山(ぐわぎうざん)を心(しん)にした巴形(ともゑなり)の函館が、鳥瞰圖(てうかんづ)を展べた樣に眼下に開ける。
「眼に立つや海青々と北の秋」左の窓から見ると、津輕海峽の青々とした一帶の秋潮を隔てゝ、遙に津輕の地方が水平線上に浮いて居る。本郷へ來ると、彼醉僧(すゐそう)は汽車を下りて、富士形の黒帽子を冠り、小形の緑絨氈(みどりじうたん)のカバンを提げて、蹣跚(まんさん)と改札口を出て行くのが見えた。江刺(えさし)へ十五里、と停車場の案内札に書いてある。函館から一時間餘にして、汽車は山を上り終へ、大沼驛を過ぎて大沼公園に來た。遊客の爲に設けた形(かた)ばかりの停車場である。ここで下車。宿引が二人待つて居る。余等は導かれて紅葉館の旗を艫(とも)に立てた小舟に乘つた。宿引は一禮して去り、船頭は軋(ぎい)と櫓聲を立てゝ漕ぎ出す。
黄金色に藻の花の咲く入江を出ると、廣々とした沼の面、絶えて久しい赤禿の駒が岳が忽眼前に躍り出た。東の肩からあるか無いかの煙が立上(のぼ)つて居る。余が明治三十六年の夏來た頃は、汽車はまだ森までしかかゝつて居なかつた。大沼公園にも粗末な料理屋が二三軒水際(みぎは)に立つて居た。駒が岳の噴火も其後の事である。然し汽車は釧路(くしろ)まで通うても、駒が岳は噴火しても、大沼其ものは舊に仍つて晴々した而して寂かな眺である。時は九月の十四日、然し沼のあたりのイタヤ楓はそろ/\染めかけて居る。處々楢(なら)や白樺(しらかば)にからむだ山葡萄の葉が、火の樣に燃えて居る。空氣は澄み切つて、水は鏡の樣だ。夫婦島(めをとじま)の方に帆舟が一つ駛(はし)つて居る。櫓聲靜に我舟の行くまゝに、鴨が飛び、千鳥が飛ぶ。やがて舟は一の入江に入つて、紅葉館の下に着いた。女中が出迎へる。夥しくイタヤ楓の若木を植ゑた傾斜を上つて、水に向ふ奧の一間に案内された。
都の紅葉館は知らぬが、此紅葉館は大沼に臨み、駒が岳に面し、名の如く無數の紅葉樹に圍まれて、瀟洒(さつぱり)とした紅葉館である。殊に夏の季節も過ぎて、今は宿もひつそりして居る。薪を使つて鑛泉に入つて、古めかしいランプの下、物靜かな女中の給仕で沼の鯉、鮒の料理を食べて、物音一つせぬ山の上、水の際の靜かな夜の眠に入つた。
眞夜中にごろ/\と雷が鳴つた。雨戸の隙から電が光つた。而して颯(ざあ)と雨の音がした。起きて雨戸を一枚繰つて見たら、最早(もう)月が出て、沼の水に螢の樣に星が浮いて居た。
(二)
黎明时分还下着小雨,吃过早饭就停了。乘小船去钓鱼。来到火车通行的铁桥附近时,又下起了哗啦哗啦的雨。还没来得及在铁桥后面靠岸避雨,雨就已经过去了。这一带在沼泽中也很深。小沼的水流入大沼,水像河川一样流动。不管怎么钓,也钓不到想要的鲫鱼,钓上来的净是些像虎鱼一样的小鱼。将船停靠在水草岸边,在意大利的薄红叶中四处漫步。拂去杂草的自然假山、沙地令人心旷神怡,公园虽名为公园,却不太吸引人,这一点值得庆幸。驹岳一览无遗,一个十八九岁的青年手持三脚架,正在画水彩写生画。驹岳上的云彩去了,沼泽里的水和树林在倏忽里忽隐忽现,看起来很有趣,写生起来很困难。时过境迁,只好放弃钓鱼,重新乘船环岛游。大沼周长八里,小沼加起来十三里,据说过去大小岛屿多达一百四十余座。大沼既不是中禅寺的幽凄,也不是霞浦的淡荡,而是以淡水为水源、以楢白桦为其他杂木的松岛。沼尻形成了瀑布。沼泽里只产鲤鱼、鲫鱼、泥鳅等。还有今年建立铜像的大山岛和东乡岛。也有的岛上有几座过去曾是这一带领主的武家的老坟墓。夏天在好的游乐场洗。现在很寂寞。尽管如此,还是能看到学生划着的小船和一两只年轻夫妇的游山船。把船靠在唯一的岸边,摘了特别美丽的山葡萄红叶,回到旅馆。
下午写了明信片,从公馆正门往陆路停车场投寄。踩着木屐走在柔软的沙地上,走过芦苇和各种水草丛生的入海口临时桥。红彤彤的桦树、楢树、板屋树等树梢上不时露出红彤彤的马驹。凄凉的景色。北海道的气总能切身感受到。
傍晚时分,在从公馆庭院延伸到沼泽的岬角上,妻子坐在石头上画驹岳的写生,作为纪念。我和鹤子在记事本上看看,在附近的树林里折折花草。秋天的阳光瞬间落下,山影水光变幻其中。马岳的第一峰还残留着夕阳的余晖,泛着红晕,前面的小岛也由紫色变成藏青色,大沼的太阳已经下山了。妻子还在动素描笔。黯蓝的天空。泛着白光的水。不时传来“啵”的一声,鱼跳了起来。在水边的树林里,宿鸟被东西吓得哗啦哗啦地飞出来。不知是蚊蚋还是蚊蚋,正小声地叫着。
“终究没来。”
妻子掀了一下画具盒,站起身来。她背起鹤子,蹲在她身后的手指上,感到一阵凉意。露珠已经落下来了。
(二)
明方にはまたぽつ/\降つて居たが、朝食を食ふと止むだ。小舟で釣に出かける。汽車の通ふセバツトの鐵橋の邊(あたり)に來ると、また一しきりざあと雨が來た。鐵橋の蔭に舟を寄せて雨宿りする間もなく、雨は最早過ぎて了うた。此邊は沼の中でもやゝ深い。小沼の水が大沼に流れ入るので、水は川の樣に動いて居る。いくら釣つても、目ざす鮒はかゝらず、ゴタルと云ふ(はぜ)の樣な小魚ばかり釣れる。舟を水草(みづくさ)の岸に着けさして、イタヤの薄紅葉の中を彼方此方(あちこち)と歩いて見る。下生(したばえ)を奇麗に拂つた自然の築山、砂地の踏心地もよく、公園の名はあつても、あまり人巧の入つて居ないのがありがたい。駒が岳のよく見える處で、三脚を据ゑて、十八九の青年が水彩寫生をして居た。駒が岳に雲が去來して、沼の水も林も倏忽(たちまち)の中に翳(かげ)つたり、照つたり、見るに面白く、寫生に困難らしく思はれた。時が移るので、釣を斷念し、また舟に上つて島めぐりをする。大沼の周圍(めぐり)八里、小沼を合せて十三里、昔は島の數が大小百四十餘もあつたと云ふ。中禪寺の幽凄(いうせい)でもなく、霞が浦の淡蕩(たんたう)でもなく、大沼は要するに水を淡水にし松を楢白樺其他の雜木にした松島である。沼尻は瀑(たき)になつて居る。沼には鯉、鮒、鰌(どぜう)ほか産しない。今年銅像を建てたと云ふ大山島、東郷島がある。昔此邊の領主であつたと云ふ武家の古い墓が幾基(いくつ)も立つて居る島もあつた。夏は好い遊び場であらう。今は寂しいことである。それでも、學生の漕いで行く小さなボートの影や、若い夫婦の遊山舟も一つ二つ見えた。舟を唯有(とあ)る岸に寄せて、殊に美しい山葡萄の紅葉を摘むで宿に歸つた。
午後は畫はがきなど書いて、館の表門から陸路停車場に投函に往つた。軟らかな砂地に下駄を踏み込んで、葦やさまざまの水草の茂つた入江の假橋を渡つて行く。やゝ色づいた樺、楢、イタヤ、などの梢から尖つた頭の赭い駒が岳が時々顏を出す。寂しい景色である。北海道の氣が總身にしみて感ぜられる。
夕方館の庭から沼に突き出た岬の(はな)で、細君が石に腰かけて記念に駒が岳の寫生をはじめた。余は鶴子と手帖の上を見たり、附近(あたり)の林で草花を折つたり。秋の入り日の瞬(またゝ)く間に落ちて、山影水光見るが中に變つて行く。夕日の名殘をとどめて赭く輝やいた駒が岳の第一峯が灰がかつた色に褪めると、つい前の小島も紫から紺青に變つて、大沼の日は暮れて了うた。細君はまだスケツチの筆を動かして居る。黯青(あんせい)に光る空。白く光る水。時々ポチヤンと音して、魚がはねる。水際(みぎは)の林では、宿鳥(ねどり)が物に驚いてがさがさ飛び出す。ブヨだか蚊だか小さな聲で唸つて居る。
「到頭出來なかつた」
ぱたんと畫具箱の葢をして、細君は立ち上つた。鶴子を負ふ可く、蹲(しやが)むで後にまはす手先に、ものが冷やりとする。最早露が下りて居るのだ。
前往札幌
九月十六日。离开大沼。驹绕岳半圈,下到森林,不厌其烦地从火车车窗眺望喷火湾的晴潮。通往室兰的小汽船随波摇晃。火车背对驹岳,沿着喷火湾疾驰。在接近长万部的地方,隔着海湾,有一座像白铜色云朵一样的山。是有珠山,同室的绅士告诉他。
离开海湾,沿着山路,在黑松内停车吃荞麦面。荞麦面的味道很好。我在兰越站仰望了虾夷富士。形容端庄,将树木缠绕至绝顶,滴下秀润的黛色。越来越想爬上去看看了。在车上遇见了朋友O君回札幌农科大学的路上。暑假漫游了朝鲜,现在正在归途。来到余市,看到了日本海的影子。余市是北海道苹果的名产地。此时夕阳西下,苹果园呈现出花朵般的色彩。因为太漂亮了,就买了两个小贩拿来的网袋。
O君在小樽下车,余等八点到达札幌,住在山形屋。
札幌へ
九月十六日。大沼を立つ。駒が岳を半周して、森に下つて、噴火灣の晴潮を飽かず汽車の窓から眺める。室蘭(むろらん)通ひの小さな汽船が波にゆられて居る。汽車は駒が岳を背(うしろ)にして、ずうと噴火灣に沿うて走る。長萬部(をしやまんべ)近くなると、灣を隔てゝ白銅色の雲の樣なものをむら/\と立てゝ居る山がある。有珠山(うずさん)です、と同室の紳士は教へた。
灣をはなれて山路にかゝり、黒松内(くろまつない)で停車蕎麥を食ふ。蕎麥の風味が好い。蝦夷(えぞ)富士と心がけた蝦夷富士を、蘭越驛(らんこしえき)で仰ぐを得た。形容端正、絶頂まで樹木を纏うて、秀潤(しうじゆん)の黛色(たいしよく)滴(したゝ)るばかり。頻(しきり)に登つて見たくなつた。車中知人O君の札幌農科大學に歸るに會つた。夏期休暇に朝鮮漫遊して、今其歸途である。余市(よいち)に來て、日本海の片影を見た。余市は北海道林檎の名産地。折からの夕日に、林檎畑は花の樣な色彩を見せた。あまり美しいので、賣子が持て來た網嚢(あみぶくろ)入のを二嚢買つた。
O君は小樽(をたる)で下り、余等は八時札幌に着いて、山形屋に泊つた。
中秋节
十八日。早上,从札幌出发前往旭川。
石狩平原的水田已经开始泛黄。在此期间,看到九月中旬还在收割小麦,又恢复了北海道的心情。
十点,火车驶出隧道,停靠在悬崖高处的车站,可以俯视河川。那就是神居古潭。突然想起一件事,便带着随身行李走下火车。
出了正在改建的割栗石乱糟糟的车站,在茶馆雇了人,背上鹤子和行李,沿着陡峭的悬崖下了河。暗绿色的石狩川汪汪地流淌着。从两岸用铁丝吊起的危险的临时桥横跨河上。桥口有一块立牌。读文言,曰不可五人以上同时渡河。
一踩上桥板,脚底轻飘飘的,每踏一步桥就前后左右上下摇晃。飞騨山中、四国的祖谷山中等地的藤蔓桥正是这样的感觉吧。无懈可击的铁丝栏架随处可见,但根本不想攀爬。他目不转睛地一口气渡河。桥长二十四间。走完桥稍事休息时,一个背着炭袋的年轻女子从山上走下来,斜眼看了一眼伫立在那里的人,飞快地过了吊桥。
沿着山下道逆流而上四五米多,来到了一间破旧的木屋,细细的烟囱冒着白烟。那是神居古潭的温泉旅馆。没有搭理,被带到了后二楼的一间无縁榻榻米房间。不久,旭川下围棋的客人回去了,我们移到正面二楼。进入散发着硫磺气味的矿泉,在二楼放松休息。三个戴麦秆帽的书生和两个戴飞檐头发的女学生到隔壁房间来玩,坐下一班火车就回去了。石狩川的水声飒飒作响。在河对面山腰的车站,有人在敲石头。嚣声回荡着,偶尔有火车驶过向山。寂寞。午饭点了河鱼,把石狩川放在前面,吃了罐装竹笋蛋和痔疮。
饭后去看神居古潭。稍往上游的地方有一处叫做夫妇岩的名胜。不往那边走,走到刚才渡过的吊桥那边去看看。桥的上方有五六棵楢树伸向河面。树荫下有一间小屋,樵夫三人正在采伐停车场改建工程的木材。在桥的左侧,青石嶙峋的海角从桥头斜向河的方向突出十五六米。我一个人踩着尖尖的岩角,拨开荆棘,朝岬角的尖端走去。岩石之间到处都是水洼,红叶的蔓草挂在岩石上。站在鼻子前眺望。河对岸一带,直立约三四百尺的杂木山,像屏风一样从水边耸立着。半山腰稍微开了一点,这里有个停车场。从水边的悬崖上毫无缝隙地排列着像桅杆一样的支柱,上面有一侧的停车场。车站的左右都是隧道。火车像蜈蚣一样爬出隧道,刚想在这个车站歇口气,又陆陆续续爬了出来,这次又像要吸进反方向黑漆漆的隧道孔洞里去了。对面那一带的杂木山,秋意尚浅,看不见颜色。眼睛终于落在河里。丁余上游白浪汹涌的石狩川,在这里变成黝黑的颜色,到处卷起小小的漩涡,无声地从吊桥下流淌而来,一部分被桥头突出的岩石所障碍。余之水顺着潭水逆流而上,经过我所站的岬角,又碰到了对岸苍黑的岩壁,全川之水像被扭曲了似的向左弯折,又滔滔不绝地流了下去。去年发大水时,石狩川越过悬崖上的道路来到了温泉旅馆。可以想象当时在这狭窄的峡谷中,高达两丈深的泥水怒吼声滚滚而下的情景。现在没有那样的水势,不过,凝视着水果然厉害。桥下的水深平时只有二十余英寻。据说以前曾有两米长的鲨鱼游到这里来。自然的孩子阿伊努人抚育的神居古潭的名字也很相似。
晚饭后,灯一亮,门一关,就好像掉进了深深的地底一样,河水的声音很刺耳。旅馆给我吃了一盂胡枝子年糕。今晚是中秋十五夜。中秋在北海道神居古潭相会,也是他日的思念之一。我打开防雨窗一看,月亮蒙着乌云,朦胧的谷底传来石狩川飒飒、飒飒的响声。
中秋
十八日。朝、旭川(あさひがは)へ向けて札幌を立つ。
石狩平原(いしかりへいげん)は、水田已に黄ばむで居る。其間に、九月中旬まだ小麥の收穫をして居るのを見ると、また北海道の氣もちに復(か)へつた。
十時、汽車は隧道(とんねる)を出て、川を見下ろす高い崖上の停車場にとまつた。神居古潭(かむゐこたん)である。急に思立つて、手荷物諸共遽(あわ)てゝ汽車を下りた。
改築中で割栗石(わりぐりいし)狼藉とした停車場を出で、茶店(さてん)で人を雇うて、鶴子と手荷物を負はせ、急勾配の崖を川へ下りた。暗緑色の石狩川が汪々(わう/\)と流れて居る。兩岸から鐵線(はりがね)で吊つたあぶなげな假橋が川を跨げて居る。橋の口に立札がある。文言を讀めば、曰く、五人以上同時に渡る可からず。
恐(お)づ/\橋板を踏むと、足の底がふわりとして、一足毎に橋は左右に前後に上下に搖れる。飛騨山中、四國の祖谷(いや)山中などの藤蔓の橋の渡り心地がまさに斯樣(こんな)であらう。形ばかりの銕線(はりがね)の欄(てすり)はあるが、つかまつてゆる/\渡る氣にもなれぬ。下の流れを見ぬ樣にして一息に渡つた。橋の長さ二十四間。渡り終つて一息ついて居ると、炭俵を負うた若い女が山から下りて來たが、佇む余等に横目をくれて、飛ぶが如く彼吊橋を渡つて往つた。
山下道を川に沿うて溯(さかのぼ)ること四五丁餘、細い煙突から白い煙を立てゝ居る木羽葺(こつぱぶき)のきたない家に來た。神居古潭(かむゐこたん)の鑛泉宿である。取りあへず裏二階の無縁疊(へりなしだゝみ)の一室に導かれた。やがて碁をうつて居た旭川の客が歸つて往つたので、表二階の方に移つた。硫黄(いわう)の臭がする鑛泉に入つて、二階にくつろぐ。麥稈帽(むぎわらばう)の書生三人、庇髮の女學生二人、隣室に遊びに來たが、次ぎの汽車で直ぐ歸つて往つた。石狩川の音が颯々(さあ/\)と響く。川向ふの山腹の停車場で、鎚音高く石を割つて居る。囂(がう)と云ふ響をこだまにかへして、稀に汽車が向山を通つて行く。寂しい。晝飯に川魚をと注文したら、石狩川を前に置いて、罐詰の筍(たけのこ)の卵とぢなど食はした。
飯後(はんご)神居古潭を見に出かける。少し上流の方には夫婦岩(めをといは)と云ふ此邊の名勝があると云ふ。其方へは行かず、先刻(さつき)渡つた吊橋の方へ行つて見る。橋の上手には、楢の大木が五六本川面へ差かゝつて居る。其蔭に小さな小屋がけして、杣(そま)が三人停車場改築工事の木材を挽(ひ)いて居る。橋の下手には、青石峨々たる岬角(かふかく)が、橋の袂から斜に川の方へ十五六間突出て居る。余は一人尖つた巖角(がんかく)を踏み、荊棘(けいきよく)を分け、岬の突端に往つた。岩間には其處此處水溜があり、紅葉した蔓草(つるくさ)が岩に搦むで居る。出鼻に立つて眺める。川向ふ一帶、直立三四百尺もあらうかと思はるゝ雜木山が、水際から屏風を立てた樣に聳えて居る。其中腹を少しばかり切り拓いて、こゝに停車場が取りついて居る。檣(ほばしら)の樣な支柱を水際の崖から隙間もなく並べ立てゝ、其上に停車場は片側乘つて居るのである。停車場の右も左も隧道(とんねる)になつて居る。汽車が百足(むかで)の樣に隧道を這ひ出して來て、此停車場に一息つくかと思ふと、またぞろぞろ這ひ出して、今度は反對の方に黒く見えて居る隧道の孔に吸はるる樣に入つて行く。向ふ一帶の雜木山は、秋まだ淺くして、見る可き色もない。眼は終に川に落ちる。丁餘の上流では白波の瀬をなして騷いだ石狩川も、こゝでは深い青黝(あをぐろ)い色をなして、其處此處に小さな渦を卷き/\彼吊橋の下を音もなく流れて來て、一部は橋の袂から突出た巖に礙(さまた)げられてこゝに淵を湛へ、餘の水は其まゝ押流して、余が立つて居る岬角を摩(す)つて、また下手對岸の蒼黒い巖壁にぶつかると、全川の水は捩ぢ曲げられた樣に左に折れて、また滔々と流して行く。去年の出水には、石狩川が崖上の道路を越して鑛泉宿まで來たさうだ。此窄(せま)い山の峽を深さ二丈も其上もある泥水が怒號して押下つた當時の凄じさが思はれる。今は其れ程の水勢は無いが、水を見つめて居ると流石に凄い。橋下の水深は、平常(ふだん)二十餘尋。以前は二間もある海の鯊(さめ)がこゝまで上つて來たと云ふ。自然兒のアイヌがさゝげた神居古潭(かむゐこたん)の名も似つかはしく思はれる。
夕飯後、ランプがついて戸がしまると、深い深い地の底にでも落ちた樣で、川音がます/\耳について寂しい。宿から萩の餅を一盂(ひとはち)くれた。今宵は中秋十五夜であつた。北海道の神居古潭で中秋に逢ふも、他日の思出の一であらう。雨戸を少しあけて見たら、月は生憎雲をかぶつて、朦朧(まうろう)とした谷底を石狩川が唯颯(さあ)、颯(さあ)と鳴つて居る。
名寄
九月十九日。从朝神居古潭车站上车。金襕袈裟,紫衣,去往旭川的日莲宗的人们挤满了车厢。在旭川换乘,前往名寄。从旭川到生路。
永山、比布、兰留,眺望的景色渐渐变得冷清。车上的甲乙正在讨论用一种既不叫紫苏也不叫麻的东西在田里晒,丙说那是薄荷。
不久进入天盐。和寒、剑渊、士别一带,广阔的草地上一片霜冻枯萎的牧场,六尺长的虎杖黄叶美丽地立在这里。这就是所谓的泥炭地。车内的乘客都啧啧称奇,觉得可惜。
余放吟曰:
泥炭地不宜耕种,郁郁而美丽的虎杖之秋
在士别,可以看到挂着共乐座等招牌的木叶屋顶的剧场。
下午三点多,到达现在的终点车站名寄。在丸石旅馆放下行李,喝了一杯茶,马上去参观。
旭川平原逐渐缩小的天盐川盆地上,有一小户人家的新开町。从车站前开始,大街就被钥匙的手折断了,排列着几百座木羽屋顶的房屋。多的有小杂货铺、规模相当大的真宗寺院、天理教会、洁净的耶教堂。买了在店头看到的真桑瓜,去天盐川看看。大河虽不深,但河面上满是褐色的河水飒飒地向北流去。有一艘拉着铁丝的渡船。余等人也过去走了一会儿。多的都是蚊蚋。他坐在倒在地上的树上,在覆盖道路的七叶树荫下剥着真桑瓜。少甜的是无可争议的北方。太阳已经西斜,微寒,秋天傍晚的寂寥从四面八方笼罩着人迹罕至的新开町。过了两次河,早早地回到旅馆。镇子正中央,骑马的男人从原野方向追赶而来。马蹄声响彻名寄市。
旅馆的主人是赞岐人,晚饭的女佣是爱知县人。隔壁房间里,刚刚要回北见农场雇马的男人正在和客人下围棋。按摩师的笛声穿过大街。
名寄
九月十九日。朝神居古潭(かむゐこたん)の停車場から乘車。金襴の袈裟、紫衣(しえ)、旭川へ行く日蓮宗の人達で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄(なよろ)に向ふ。旭川からは生路(せいろ)である。
永山(ながやま)、比布(ぴつぷ)、蘭留(らんる)と、眺望(ながめ)は次第に淋しくなる。紫蘇(しそ)ともつかず、麻でも無いものを苅つて畑に乾してあるのを、車中の甲乙(たれかれ)が評議して居たが、薄荷(はつか)だと丙が説明した。
やがて天鹽(てしほ)に入る。和寒(わつさむ)、劍淵(けんぶち)、士別(しべつ)あたり、牧場かと思はるゝ廣漠たる草地一面霜枯れて、六尺もある虎杖(いたどり)が黄葉美しく此處其處に立つて居る。所謂泥炭地である。車内の客は何れも惜しいものだと舌鼓うつ。
余放吟して曰く、
泥炭地耕すべくもあらぬとふさはれ美し虎杖(いたどり)の秋
士別では、共樂座など看板を上げた木葉葺(こつぱぶき)の劇場が見えた。
午後三時過ぎ、現在の終點驛名寄(なよろ)着。丸石旅館に手荷物を下ろし、茶一ぱい飮んで、直ぐ例の見物に出かける。
旭川平原をずつと縮めた樣な天鹽川の盆地に、一握りの人家を落した新開町。停車場前から、大通りを鍵の手に折れて、木羽葺が何百か並むで居る。多いものは小間物屋、可なり大きな眞宗の寺、天理教會、清素な耶蘇教會堂も見えた。店頭(みせさき)で見つけた眞桑瓜を買うて、天鹽川に往つて見る。可なりの大川、深くもなさゝうだが、川幅一ぱい茶色の水が颯々(さあ/\)と北へ流れて居る。鐵線(はりがね)を引張つた渡舟がある。余等も渡つて、少し歩いて見る。多いものはブヨばかり。倒れ木に腰かけて、路をさし覆ふ七つ葉の蔭で、眞桑瓜(まくはうり)を剥いた。甘味の少ないは、爭はれぬ北である。最早日が入りかけて、薄ら寒く、秋の夕の淋しさが人少なの新開町を押かぶせる樣に四方から包むで來る。二(ふた)たび川を渡つて、早々宿に歸る。町の眞中を乘馬の男が野の方から駈(かけ)を追うて歸つて來る。馬蹄の音が名寄中に響き渡る。
宿の主人は讚岐(さぬき)の人で、晩食の給仕に出た女中は愛知の者であつた。隣室には、先刻馬を頼むで居た北見の農場に歸る男が、客と碁をうつて居る。按摩の笛が大道を流して通る。
春光台
明治三十六年夏天,余飞脚到旭川过夜旅行。那时的旭川比现在的名寄还要冷清。我在绵绵细雨中乘车去近文,访问阿伊努老酋长家,作了个长揖,买了个伊达屋的山寨货回来。我现在在车上望过去,想唤起当年凄凉的记忆,但从明治四十三年的旭川找到七年前的旭川,却未能成功。
余等人走出市区,渡过石狩川,远望近文的阿伊努部落,穿过第七师团的练兵场,下车登上春光台。春光台是除去江户川的旭川鸿之台。一眼望去,上川原野盘居在旭川的北方,宛如连垒一般。山丘上有一片水晶般闪闪发光的白砂,几条小路蜿蜒于大树之间,绿叶边缘已染成白桦树。眼下就是第七师团。漆黑的大木造建筑物,细长的建筑物,一尺的马奔跑着,两寸的士兵行走着,红旗飘扬,喇叭鸣响着。日俄战争凯旋之时,在此山丘上举行了盛大的师团招魂祭,戏剧、相扑、撕裂般的热闹之中,她前一天晚上从恋人的父亲那里收到一封绝交书信,痛痛欲绝,抱着这颗寄生寄生的心,师团的中尉寄生木筱原良平参观的地方也在春光台。
孤看见了。山丘上除了我以外没有人影,秋风飒飒,树叶摇曳。
春光台肠断,致年轻人。
追忆起秋风吹
余等人走下春光台,问一名士兵良平去了好友小田中尉那间没有女人的机关宿舍,聊了一会儿良平。接着,良平在陆军大学预备考试中及格,却被人排挤,他愤愤不平,打破玻璃窗,经过最后居住的机关宿舍前。和其他下级军官宿舍一样,那是一间用木板围起来的寒酸木板葺的房子,篱笆内垂挂着一根长长的柳枝。失恋的他痛苦不堪地在练兵场里四处走动,地上到处都是雨水,地上到处都是积水,红、白苜蓿花丛遍地盛开。
春光臺
明治三十六年の夏、余は旭川まで一夜泊の飛脚旅行に來た。其時の旭川は、今の名寄よりも淋しい位の町であつた。降りしきる雨の中を車で近文(ちかぶみ)に往つて、土産話にアイヌの老酋(らうしう)の家を訪うて、イタヤのマキリなぞ買つて歸つた。余は今車の上から見して、當年のわびしい記憶を喚起(よびおこ)さうとしたが、明治四十三年の旭川から七年前の旭川を見出すことは成功しなかつた。
余等は市街を出ぬけ、石狩川を渡り、近文のアイヌ部落を遠目に見て、第七師團の練兵場を横ぎり、車を下りて春光臺(しゆんくわうだい)に上つた。春光臺は江戸川を除いた旭川の鴻(こう)の臺(だい)である。上川原野(かみかはげんや)を一目に見て、旭川の北方に連壘の如く蟠居(ばんきよ)して居る。丘上は一面水晶末の樣な輝々(きら/\)する白砂、そろそろ青葉の縁(ふち)を樺に染めかけた大きな樹(かしはのき)の間を縫うて、幾條の路がうねつて居る。直ぐ眼下は第七師團である。黒(くろず)むだ大きな木造の建物、細長い建物、一尺の馬が走つたり、二寸の兵が歩いたり、赤い旗が立つたり、喇叭(らつぱ)が鳴つたりして居る。日露戰爭凱旋當時、此丘上(をかのうへ)に盛大な師團招魂祭があつて、芝居、相撲、割れる樣な賑合(にぎはひ)の中に、前夜戀人の父から絶縁の一書を送られて血を吐く思の胸を抱いて師團の中尉寄生木(やどりぎ)の篠原良平が見物に立まじつたも此春光臺であつた。
余は見はした。丘の上には余等の外に人影も無く、秋風がばさり/\(かしは)の葉を搖(うご)かして居る。
春光臺腸(はらわた)斷(た)ちし若人を
偲びて立てば秋の風吹く
余等は春光臺を下りて、一兵卒に問うて良平が親友小田中尉の女氣無しの官舍を訪ひ、暫らく良平を語つた。それから良平が陸軍大學の豫備試驗に及第しながら都合上後はしにされたを憤(いきどほ)つて、硝子窓を打破つたと云ふ、最後に住むだ官舍の前を通つた。其は他の下級將校官舍の如く、板塀に圍はれた見すぼらしい板葺の家で、垣の内には柳が一本長々と枝を垂れて居た。失戀の彼が苦しまぎれに渦卷の如く無暗に歩きつた練兵場は、曩日(なうじつ)の雨で諸處水溜りが出來て、紅と白の苜蓿(うまごやし)の花が其處此處に叢(むら)をなして咲いて居た。
钏路
(一)
在旭川睡了两夜,九月二十三日早晨前往钏路。往钏路方向完全是生路。
昨天在石狩岳看了雪。火车里也很冷。沿着上川原野南下。水田泛黄。看到田地里到处都是烧剩的黑树丛,仿佛在开拓的北海道还没有死去的阿伊努人的悲哀深深刺痛了我的身体。在下富良野仰望青色的十胜岳。火车终于驶入了与夕张背靠背的山路,顺着空知川的上游逆流而上。沙白,水比玉石绿。此时秋意已深,万树挂霜,黄褐色的树林间,枫树如火,北海道的银杏桂树泛着黄色的火焰。从旭川开了五个多小时,火车来到狩胜车站。石狩十胜的境界。孤从窗户探出头来,看左边的告示牌。
狩胜停车场
一万一千七百五十六英尺的海拔,一万一二
狩胜隧道
延长参千九英尺(六寸)
钏路一百十九英里八分
旭川七十二哩三分
札幌一百五十八哩六分
函馆三百三十七英里五分钟
室兰二百二十哩
火车从石狩引进一万三千英尺的隧道,开往十胜。从这里开始,就是千几百英尺的胶片的下行。一开始虾夷松苍翠秀丽的火光穿过白茫茫的枯峰,来到没有障碍的地方,仿佛轴架的大鸟瞰图一下子融化掉了,眼睛从火车下到的枯霜的萱山,碧绿碧绿的。沿着山脚下的原野,沿着十胜的大平原一望无际地走着,来到天地融为一体的地方。那里有北太平洋。许多头从窗户伸出来眺望。火车在闪着尾花的白光的山腰上画出波纹,像蛇一样翻滚。东北方向可以看到石狩、十胜、钏路、北见交界处盘绕的连岭。南边可以看到日高境的青色高山。火车从左窗转了囘几次,终于下到了平原上。
暂时由野林来迎接。大豆田也逐渐出现。十胜是豆之国。从旭川平原和札幌深川之间的火车车窗看到的水田,在十胜还很少。带广是十胜的头脑、河西支厅的所在地,是一个大原野中的城镇。利别乘了八名艺伎。今天网走线的铁路※别[#“冫+陆之造”,10-下-20]开通了,我要去参加开通仪式。池田站是网走线的分岔点,还能看到彩球灯、国旗、挂满头饰的机车等,黑压压一片。火车在这里放下了大部分乘客,暂时跟随十胜川滚滚的流水向东行驶。时间晚了,在浦幌听着太平洋的波涛声时,车厢里的电灯已经亮了。从这里铁路呈直角北上,一路听着断断续续的海声,累得将近九点才到达钏路。我坐在车里摇摇晃晃,斜眼望着十九日的缺月,走过架设在钏路川上的长长的币舞桥,前往一家叫轮岛屋的旅馆。
(二)
第二天吃过晚饭,就出去参观了。钏路町横跨钏路川口的两岸。车站所在的一侧是平民街,官厅、银行、重叠的商店、旅馆等大多位于桥的东岸。东岸一带形成一个小山丘,可以避开海风,许多人家从湖畔到上段聚集在其荫下,许多船只在其荫下栖息。余等人从弁天社登上灯塔。位于钏路川和太平洋之间的半岛岬端,东面是太平洋,西面是钏路湾、钏路川和钏路町,眼下是与大海平行的长长山丘上,水色清澈的秋日清晨天空隔开了两列白雄阿寒。不行),眺望雌阿寒的秀色。海湾里漂浮着冒烟的汽船和渔舟。桥上的人就像蚂蚁一样来来往往。不愧是北海道东部第一港口,气象相当雄伟。今天没有人要在上午离开钏路,所以参观完就回旅馆去了。
釧路
(一)
旭川に二夜(ふたよ)寢て、九月二十三日の朝釧路(くしろ)へ向ふ。釧路の方へは全くの生路である。
昨日石狩嶽に雪を見た。汽車の内も中々寒い。上川原野(かみかはげんや)を南方へ下つて行く。水田が黄ばむで居る。田や畑の其處此處に燒け殘りの黒い木の株が立つて居るのを見ると、開け行く北海道にまだ死に切れぬアイヌの悲哀(かなしみ)が身にしみる樣だ。下富良野(しもふらの)で青い十勝岳(とかちだけ)を仰ぐ。汽車はいよいよ夕張と背合はせの山路に入つて、空知川(そらちがは)の上流を水に添うて溯(さかのぼ)る。砂白く、水は玉よりも緑である。此邊は秋已に深く、萬樹霜を閲(けみ)し、狐色になつた樹々の間に、イタヤ楓は火の如く、北海道の銀杏なる桂は黄の焔を上げて居る。旭川から五時間餘走つて、汽車は狩勝驛(かりかちえき)に來た。石狩十勝の境である。余は窓から首を出して左の立札を見た。
狩勝停車場
海抜一千七百五十六呎(フイート)、一二
狩勝トンネル
延長參千九呎(フイート)六吋(インチ)
釧路(くしろ)百十九哩(まいる)八分(ぶ)
旭川七十二哩三分
札幌百五十八哩六分
函館三百三十七哩五分
室蘭二百二十哩
三千呎(フイート)の隧道(とんねる)を、汽車は石狩から入つて十勝へ出た。此れからは千何百呎の下りである。最初蝦夷松椴松の翠(みどり)に秀であるひは白く立枯るゝ峯を過ぎて、障るものなき邊(あたり)へ來ると、軸物の大俯瞰圖のする/\と解けて落ちる樣に、眼は今汽車の下りつゝある霜枯の萱山(かややま)から、青々とした裾野につゞく十勝の大平野を何處までもずうと走つて、地と空と融け合ふ邊(あたり)にとまつた。其處に北太平洋が潛むで居るのである。多くの頭が窓から出て眺める。汽車は尾花の白く光る山腹を、波状を描いて蛇の樣にのたくる。北東の方には、石狩、十勝、釧路、北見の境上に蟠(わだかま)る連嶺が青く見えて來た。南の方には、日高境の青い高山が見える。汽車は此等の山を右の窓から左の窓へと幾囘か轉換して、到頭平野に下りて了うた。
當分は(かしは)の林が迎へて送る。追々大豆畑が現はれる。十勝は豆の國である。旭川平原や札幌深川間の汽車の窓から見る樣な水田は、まだ十勝に少ない。帶廣(おびひろ)は十勝の頭腦、河西(かさい)支廳の處在地、大きな野の中の町である。利別(としべつ)から藝者雛妓(おしやく)が八人乘つた。今日網走(あばしり)線の鐵道が※別(りくんべつ)[#「冫+陸のつくり」、10-下-20]まで開通した其開通式に赴くのである。池田驛は網走線の分岐點、球燈、國旗、滿頭飾をした機關車なども見えて、眞黒な人だかりだ。汽車はこゝで乘客の大部分を下ろし、汪々(わう/\)たる十勝川の流れに暫くは添うて東へ走つた。時間が晩(おく)れて、浦幌(うらほろ)で太平洋の波の音を聞いた時は、最早車室の電燈がついた。此處から線路は直角をなして北上し、一路斷續海の音を聞きつゝ、九時近くくたびれ切つて釧路に着いた。車に搖られて、十九日の缺月を横目に見ながら、夕汐白く漫々たる釧路川に架した長い長い幣舞(ぬさまひ)橋を渡り、輪島屋と云ふ宿に往つた。
(二)
あくる日飯を食ふと見物に出た。釧路町は釧路川口の兩岸に跨(またが)つて居る。停車場所在の側は平民町で、官廳、銀行、重なる商店、旅館等は、大抵橋を渡つた東岸にある。東岸一帶は小高い丘をなして自(おのづ)から海風をよけ、幾多の人家は水の畔(はた)から上段かけて其蔭に群がり、幾多の舟船は其蔭に息(いこ)うて居る。余等は辨天社から燈臺の方に上つた。釧路川と太平洋に挾まれた半島の岬端で、東面すれば太平洋、西面すれば釧路灣、釧路川、釧路町を眼下に見て、當面には海と平行して長く延いた丘の上、水色に冴えた秋の朝空に間(あはひ)隔てゝ二つ列むだ雄阿寒(をあかん)、雌阿寒(めあかん)の秀色を眺める。灣には煙立つ汽船、漁舟が浮いて居る。幣舞(ぬさまひ)橋には蟻の樣に人が渡つて居る。北海道東部第一の港だけあつて、氣象頗雄大である。今日人を尋ぬ可く午前中に釧路を去らねばならぬので、見物は々(そこ/\)にして宿に歸る。
茶路
在北太平洋涛声萧萧的钏路白糠车站下车,拜托旅馆老板去村公所打听住在茶路的M氏的下落,说是以前在,现在不在,行踪不明。总之只能去茶路询问。他把妻子留在旅馆里,请人带路,穿上绑腿、运动鞋、一把洋伞轻装出门。时间已经过了下午两点。离茶路有三里路。反正要入夜了,孤把手电筒插在单衣里,带路的人提着饭团和灯笼。
背对着大海的声音,穿过铁路道口,走在像枪柄一样笔直向西的大路上。左右是一片潮湿的泥炭地,有反魂香的黄、泽桔梗的紫以及其他不知名的花草点缀着霜枯的藤蔓。向导说,要是点燃香烟,一两个月都在冒烟。路的一边铺着小火车轨道。到处都有工人在搬运铁轨和枕木。
“该怎么办呢?”
“什么?本来是去安田的煤矿的。嗯,有二里左右,在那座山的背阴处。嗯,已经废弃了。”
向导说,有个搞关系的人承包了这条铁轨,一间宽的桥要五十圆,一根枕木要几圆,赚了不少钱。枕木大多是枹树,北海道很少有栗子,钏路等地只有三棵栗子,但枹树坚硬不易腐烂,与栗子相比似乎毫不逊色。
向导是水户的人。五十岁左右,感觉很轻松的男人。很早就去了北海道,近年来来到白糠,开了一家小料理店。
“应该有各种各样的人混在里面吧。”
“咦?来了很多人呢!”
“应该也有不少流氓吧。”
“啊,哪里,也不是那样的。有一个穷困潦倒的家伙,经常干淫乱勾当,娶了身份高贵的人的老婆和女儿。有一次,一个十五六岁的农家姑娘去看草,正好赶上一个来砍柴的男人,引起了一阵骚动。——是那家伙吗?被从头村赶出来,现在去大津,靠打渔为生。”
山从三面逼近。在唯一的人家立饮井水。吊桶代替了“水井”的“白”,水井边的“水井”和“自”! 14-上-16 ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !似乎连一丈多高的水边都能打通。水是水晶。这附近还没有耕地。海上的气体,也就是雾来了,所以有根菜类出来,但是陆地上生长的谷物蔬菜什么的也出不来,要进三里内地,麦子什么的也出不来。
遇到一个背着鹿角的男人。左边出现了茶路川干涸的河床。
刚走了二里路,路就向右弯成直角。已经是茶路的入口了。路边有一间很大的草房。
“稍微休息一下再走吧”,向导说着走在前面。
大火炉上自由自在地沸腾着大水壶里的热水。从被熏黑的阁楼上挂起的麦秆上,插着烤好的小鱼串。柱子上挂着一个大盆。宽敞的土间一角是架子,上面放着许多碗、碟、小钵之类的东西。
一个五十岁左右、额头微秃、天神胡子的男人走了出来。跟向导说了两三句话。
茶路要去拜访谁呢?”
余说出M的名字。
啊,M先生吗? M先生已经不在茶路了。去年搬到钏路,现在住在钏路的西币舞町,经营葬仪社。嗯,嗯,他和我关系很好,上个月还一起去玩呢。”
说着,主公从橱柜里取出一揽子明信片,而吉田好,拿出一张明信片给他看。那个人确实有名字。
“太太也一起去吗?”
实际上,他把妻子留在内地的故乡,渡海而去,音信全无,但有传闻说,他正在当地迎接妻子。
“嗯,太太也在。孩子吗?没有孩子。好像是说大的住在满洲。”
没想到她这么快就解决了,余道了谢,立刻把她拉到白糠家。
“我知道了。嗯,是那个人吗?好像是淡路人。他开饭馆,赚了不少钱。”向导说。
回到白糠旅馆,秋天的太阳已经下山了,妻子儿在煤油灯的阴影里寂寞地等待着。吃过晚饭,坐八点多的末班列车返回钏路。
茶路
北太平洋の波の音の淋しい釧路(くしろ)の白糠(しらぬか)驛で下りて、宿の亭主を頼み村役場に往つて茶路(ちやろ)に住むと云ふM氏の在否を調べて貰ふと、先には居たが、今は居ない、行方は一切分からぬと云ふ。兎も角も茶路に往つて尋ねる外はない。妻兒を宿に殘して、案内者を頼み、ゲートル、運動靴、洋傘(かさ)一柄(いつぺい)、身輕に出かける。時は最早午後の二時過ぎ。茶路までは三里。歸りはドウセ夜に入ると云ふので、余はポツケツトに懷中電燈を入れ、案内者は夜食の握飯と提灯を提げて居る。
海の音を背(うしろ)に、鐵道線路を踏切つて、西へ槍の柄の樣に眞直につけられた大路を行く。左右は一面じめ/\した泥炭地で、反魂香(はんごんかう)の黄や澤桔梗の紫や其他名を知らぬ草花が霜枯れかゝつた草を彩どつて居る。煙草の火でも落すと一月も二月もぷす/\燻(くすぶ)つて居ます、と案内者が云ふ。路の一方にはトロツコのレールが敷かれてある。其處此處で人夫がレールや枕木を取りはづして居る。
「如何(どう)するのかね」
「何、安田の炭鑛へかゝつてたんですがね。エ、二里ばかり、あ、あの山の陰になつてます。エ、最早廢(よ)しちやつたんです」
案内者は斯(かう)云つて、仲に立つた者が此レールを請負つて、一間ばかりの橋一つにも五十圓の、枕木一本が幾圓のと、不當な儲をした事を話す。枕木は重にドス楢で、北海道に栗は少なく、釧路などには栗が三本と無いが、ドス楢は堅硬にして容易に朽ちず栗にも劣らぬさうである。
案内者は水戸(みと)の者であつた。五十そこらの氣輕さうな男。早くから北海道に渡つて、近年白糠に來て、小料理屋をやつて居る。
「隨分色々な者が入り込むで居るだらうね」
「エ、其りや色々な手合が來てまさア」
「隨分破落戸(ならずもの)も居るだらうね」
「エ、何、其樣(そう)でもありませんが。――一人困つた奴が居ましてな。よく強淫をやりアがるんです。成る可く身分の好い人のかみさんだの娘だのをいくんです。身分の好い人だと、成丈外聞のない樣にしますからな。何時ぞやも、農家の娘でね、十五六のが草苅りに往つてたのを、奴が捉(つらま)へましてな。丁度其處に木を伐りに來た男が見つけて、大騷ぎになりました。――其奴ですか。到頭村から追ひ出されて、今では大津に往つて、漁場を稼いで居るつてことです」
山が三方から近く寄つて來た。唯有(とあ)る人家に立寄つて、井戸の水をもらつて飮む。桔※(はねつるべ)[#「槹」の「白」に代えて「自」、14-上-16]の釣瓶(つるべ)はバケツで、井戸側は徑(わたり)三尺もある桂の丸木の中をくりぬいたのである。一丈餘もある水際までぶつ通しらしい。而して水はさながら水晶である。まだ此邊までは耕地は無い。海上のガス即ち霧が襲うて來るので、根菜類は出來るが、地上に育つものは穀物蔬菜何も出來ず、どうしても三里内地に入らねば麥も何も出來ないのである。
鹿の角を澤山背負うて來る男に會うた。茶路川の水涸れた川床が左に見えて來た。
二里も來たかと思ふ頃、路は殆んど直角に右に折れて居る。最早茶路の入口だ。路傍に大きな草葺の家がある。
「一寸休むで往きましようかな」と云つて、案内者が先に立つて入る。
大きな爐をきつて、自在に大藥罐の湯がたぎつて居る。煤けた屋根裏からつりさげた藁苞(わらつと)に、燒いた小魚の串がさしてある。柱には大きなぼン/\が掛つて居る。廣くとつた土間の片隅は棚になつて、茶碗、皿、小鉢の類が多くのせてある。
額の少し禿げた天神髯の五十位の男が出て來た。案内者と二三の會話がある。
「茶路は誰を御訪ねなさるンですかね」
余はMの名を云つた。
「あ、Mさんですか。Mさんなれば最早(もう)茶路には居ません。昨年越しました。今は釧路に居ます。釧路の西幣舞(にしぬさまひ)町です。葬儀屋をやつてます。エ、エ、俺(わたし)とは極(ごく)懇意で、つい先月も遊びに往つて來ました」
と云つて、主は戸棚から一括した手紙はがきを取り出し、一枚づゝめくつて、一枚のはがきを取り出して見せた。まさしく其人の名がある。
「かみさんも一緒ですかね?」
實は彼は内地の郷里に妻子を置いて、渡道したきり、音信不通だが、風のたよりに彼地で妻を迎へて居ると云ふことが傳へられて居るのであつた。
「エ、かみさんも一緒に居ます。子供ですか、子供は居ません。たしか大きいのが滿洲に居るとか云ふことでしたつけ」
案外早く埓が明いたので、余は禮を云つて、直ぐ白糠(しらぬか)へ引かへした。
「分かつてようございました。エ、彼人(あのひと)ですか、たしか淡路(あはぢ)の人だと云ひます。飯屋をして、大分儲けると云ふことです」と案内者は云うた。
白糠(しらぬか)の宿に歸ると、秋の日が暮れて、ランプの蔭に妻兒が淋しく待つて居た。夕飯を食つて、八時過ぎの終列車で釧路に引返へす。
北海道的京都
在钏路与M先生相遇,实现了所需,第二天经过池田,前往※别[#“冫+陆之造”,15-上-13]此行实现了第一个目的——访问关宽翁,停留六天,在旭川住一晚,在小樽住一晚,十月二日二日我去了札幌。
往那一昼夜,往那一昼夜,瞥了一眼札幌,与七年前看的札幌并没有多大区别。据说基督教信徒在八万都府中有八百人。据说市政府共同决议排斥了唯一来台的汽车。二号晚上在独立教会听了T牧师的说教,睡在山形屋,第二天和T、O等人去参观农科大学。在博物馆看到的熊胃里露出的酒精浸泡的父亲的手孩子的手,让余头疼。想到明治十四五年以前札幌附近还有熊出没,北海道也真是一片开阔啊。在宫部博士的说明下看了两三植物标本。在桦太日俄边境采收并新命名的紫境杜鹃,其名字久闻冬虫夏草、腐髓猴腰等。此外,某君还展示了昆虫的标本,美丽的蝴蝶,生命短暂的蜉蝣的生活等,让人听了有趣的故事。榆树树荫下的大学草坪,林荫道两旁的林荫道,北海道的京都札幌是个好地方。
余等当晚乘火车从札幌出发,第二天一整天都在大沼公园的小雨中度过,当晚前往函馆,又在梅花香丸里与北海道依依不舍地告别。
北海道の京都
釧路で尋ぬるM氏に會つて所要を果し、翌日池田を經て※別(りくんべつ)[#「冫+陸のつくり」、15-上-13]に往つて此行第一の目的なる關寛翁訪問を果し、滯留六日、旭川一泊、小樽一泊して、十月二日二(ふた)たび札幌に入つた。
往きに一晝二夜、復へりに一晝夜、皮相を瞥見した札幌は、七年前に見た札幌とさして相違を見出す事が出來なかつた。耶蘇教信者が八萬の都府(とふ)に八百からあると云ふ。唯一臺來た自動車を市の共議で排斥したと云ふ。二日の夜は獨立教會でT牧師の説教を聞いて山形屋に眠り、翌日はT君、O君等と農科大學を見に往つた。博物館で見た熊の胃から出たアルコール漬の父親の手子供の手は、余の頭を痛くした。明治十四五年まで此札幌の附近にまだ熊が出沒したと思へば、北海道も開けたものである。宮部博士の説明で二三植物標本を見た。樺太の日露國境の邊で採收して新に命名された紫のサカイツツジ、其名は久しく聞いて居た冬蟲夏草(とうちうかさう)、木の髓を腐らす猿の腰かけ等。それから某君によりて昆蟲の標本を示され、美しい蝶、命短い蜉蝣(ふいう)の生活等につき面白い話を聞いた。楡(にれ)の蔭うつ大學の芝生、アカシヤの茂る大道の並木、北海道の京都札幌は好い都府である。
余等は其日の夜汽車で札幌を立ち、あくる一日を二たび大沼公園の小雨(こさめ)に遊び暮らし、其夜函館に往つて、また梅が香丸で北海道に惜しい別れを告げた。
津轻
在青森过了一夜,十月六日早上去了弘前。
津轻现在是苹果王国的荣华时代。路过弘前的城下町时,发现有戴着毛、背着护目镜的津轻女,还有穿着草鞋、牵着炭马的津轻男,都在吃苹果。在代官町一家叫大一的店,向东京供应两箱。幽深的商店里挤满了苹果、箱子、巨锯屑和打包行李的男女。
穿过旧的士族街、新的商业区、偏僻的破街,渡过岩木川,向城北三里板柳村方向走去。尚未见雪的岩木山,在十月的朝阳下呈现出桔梗花的颜色。围绕着群山,一片秋天的田地被染红了。街道经过断续榲黄色的村庄和红苹果的田地。过了两个小时左右,走过岩木川的长桥,进入了乡村里家家户户林立的板柳村。
板柳村的Y君一边监督苹果园,一边读新派歌曲,是个爱好文艺的人。粕谷的茅屋也响了一两次。余等在Y家借宿一夜。在文展上广受好评的不折的《陶器制作》油画、远走三千里在此停留的碧梧桐《花林檎》的画框、子规、碧、虚的诗笺、与谢野夫妇在竹柏园社中的诗笺等。在十五町步的苹果园里,看到了被削掉的苹果可怜地滚落着。品尝各种苹果的味道。晚上还遇到了Y君的朋友,村里的大人物。余把《塔安娜水彩画簿》送给Y君,并在那张展示板上画了左凸眼。
苹果红了榲黄了的秋日
岩木山下和你在一起
第二天一早便离开了板柳村。过了岩木川的桥,告别了昨晚会面的诸位,在Y君的带领下,我急忙跑上舞鹤城,从津轻家祖先甲胃的铜像旁再次眺望岩木山,急忙拍照,急忙跑到车站。Y君也被送到大鳄,就此分道扬镳。余等人乘火车,经秋田、米泽、福岛回村。
津輕
青森に一夜明して、十月六日の朝弘前(ひろさき)に往つた。
津輕(つがる)は今林檎王國の榮華時代である。弘前の城下町を通ると、ケラを被て目かご背負うた津輕女(つがるめ)も、草履はいて炭馬をひいた津輕男も、林檎喰ひ/\歩いて居る。代官町の大一と云ふ店で、東京に二箱仕出す。奧深い店は、林檎と、箱と、巨鋸屑(おがくづ)と、荷造りする男女で一ぱいであつた。
古い士族町、新しい商業町、場末のボロ町を通つて、岩木川を渡り、城北三里板柳村の方へ向うた。まだ雪を見ぬ岩木山(いはきやま)は、十月の朝日に桔梗の花の色をして居る。山を繞つて秋の田が一面に色づいて居る。街道は斷續榲(まるめろ)の黄な村、林檎の紅い畑を過ぎて行く。二時間ばかりにして、岩木川の長橋を渡り、田舍町には家並の揃うて豐らしい板柳(いたやな)村に入つた。
板柳村のY君は、林檎園の監督をする傍、新派の歌をよみ文藝を好む人である。一二度粕谷の茅廬にも音づれた。余等はY君の家に一夜厄介になつた。文展で評判の好かつた不折(ふせつ)の「陶器つくり」の油繪、三千里の行脚(あんぎや)して此處にも滯留した碧梧桐「花林檎」の額、子規、碧、虚の短册、與謝野夫妻、竹柏園社中の短册など見た。十五町歩の林檎園に、撰屑(よりくづ)の林檎の可惜(あたら)轉がるのを見た。種々の林檎を味はうた。夜はY君の友にして村の重立たる人々にも會うた。余はタアナア水彩畫帖をY君に贈り、其フライリーフに左の出たらめを書きつけた。
林檎朱(あけ)に榲(まるめろ)黄なる秋の日を
岩木山下(いはきさんか)に君とかたらふ
あくる朝は早く板柳(いたやな)村を辭した。岩木川の橋を渡つて、昨夜會面した諸君に告別し、Y君の案内により大急ぎで舞鶴城へかけ上り、津輕家祖先の甲胃の銅像の邊から岩木山を今一度眺め、大急ぎで寫眞をとり、大急ぎで停車場にかけつけた。Y君も大鰐(おほわに)まで送つて來て、こゝに袂を分つた。余等はこれから秋田、米澤、福島を經て歸村す可く汽車の旅をつゞけた。
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