沼泽

沼地

芥川龍之介

沼泽

芥川龙之介:1892年芥川龙之介生于东京,本姓新原,是一个送奶工人的儿子,生母于三十二岁时生下他,八个月后猝然发狂,其后终生为狂人。龙之介被生母胞兄芥川家收为养子,因芥川家是延续十几代的士族(武士),门风高尚,文学、演艺、美术等均是士族子弟必修科目。或许是环境使然,再加上天资聪颖,他阅读的书籍涉猎极广,在中小学时代喜读江户文学、《西游记》、《水浒传》等,也喜欢日本近代作家泉镜花、幸田露伴、夏目漱石、森鸥外的作品。对欧美文学也兴趣浓厚,喜读易卜生、法朗士、波德莱尔、斯特林堡等人的作品,深受世纪末文学的影响。这使他日后不但成为杰出的作家,更是个博学之士。

那是一个下雨的下午。我在一个画展会场的一个房间里发现了一幅小油画。发现——这么说可能有些夸张,但实际上,只有这幅画毅然地挂在彩光不好的角落里,而且是钻进了寒碜的边缘,仿佛被遗忘了似的。画好像叫“沼地”,所以画家并不是什么知名人士。而且画本身也只画了浑浊的水、潮湿的土以及土上繁茂的草木,所以一般观众恐怕连看都不看一眼吧。

而且奇怪的是,这位画家虽然画的是郁郁葱葱的草木,却没有一丝一毫使用绿色。点缀芦花、白杨花和无花果的东西,无论从哪个角度看,都是混浊的黄色。那黄色就像湿漉漉的墙土一样沉闷。在这位画家看来,草木的颜色实际上是那样的吗?还是另有喜好,故意加了这么夸张的成分呢?——我站在这幅画前,品味着从中得到的感觉的同时,也不由得产生了这样的疑问。

但是,越看越明白那画中潜藏着可怕的力量。尤其是前景的泥土,画得那么准确,甚至能清晰地感觉到脚踩在那里时的心情。一踩到淤泥,淤泥就会发出沙沙的声音,把脚踝遮住,她的心情就像淤泥般光滑。我在这幅小小的油画中,发现了一个敏锐地想要抓住自然的受伤的艺术家。就像所有优秀的艺术品一样,从这片黄色沼泽地的草木中也感受到了恍惚悲壮的感动。实际上,在挂在同一会场的大大小小的画作中,找不到任何一幅能与之抗衡的有力画作。

“真是佩服得五体投地啊。”

伴随着这句话,有人拍了拍我的肩膀,我觉得好像有什么东西从心里被甩了下来,猛地回头看了看。

“这个怎么样。”

对方漫不经心地说着,用刚用剃刀抵着的下巴指了指沼泽的画。此人身穿流行的褐色西装,体态丰满,消息灵通,自任新闻美术记者。我记得这位记者以前也给我留下过一两次不愉快的印象,所以我勉勉强强地回答。

“真是杰作。”

“杰作——吗?这很有趣。”

记者摇着肚子笑了。大概是被那个声音吓到了吧。在附近看画的两三个观众不约而同地看向这边。我越发感到不快。

“这很有趣。这幅画本来就不是会员的画。不过,他本人经常挂在这里,遗属们拜托评审,才把它挂在这个角落里。”

“遗属?那画这幅画的人死了吗?”

“死了。本来还活着的时候,就已经死了。”

我的好奇心不知何时比我的不愉快的感觉更强烈了。

“为什么?”

“这个画家从很久以前就疯了。”

“画这幅画的时候也是吗?”

“当然。如果不是疯子,谁会画出这种颜色的画来呢?你说这是杰作,佩服得不得了。这一点非常有趣。”

记者又得意地放声大笑起来。他大概已经预料到我会为自己的无知感到羞耻吧。或许更进一步,他想让我印象他在鉴赏上的优越性。但他的两个期待都落空了。因为听了他的话,一种近乎严肃严肃的感情在我的整个精神中产生了难以言喻的波动。我毛骨悚然地再次凝视着这幅沼泽地的画。于是,我再次从这幅小小的画布中,看到了被恐惧、焦躁和不安所折磨的艺术家的身影。

“不过,听说画得不像自己想的那样好,大概是疯了吧。这一点倒是可以买的。”

记者露出明朗的表情,几乎是高兴地微笑着。这是无名艺术家——我们中的一个人牺牲自己的生命,从世间换来的唯一的报酬。我感到一种异样的战栗,第三次窥视这幅忧郁的油画。在微暗的天空与水之间,湿漉漉的黄土色芦苇、白杨树、无花果等以惊人的气势活在那里,仿佛看到了大自然本身。…………

“真是杰作。”

我直视着记者的脸,昂然重复道。

(大正八年四月)

 ある雨の降る日の午後であった。私わたくしはある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟おおげさだが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って彩光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱な縁ふちへはいって、忘れられたように懸かっていたのである。画は確か、「沼地」とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった。また画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂はんもする草木そうもくとを描かいただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。

 その上不思議な事にこの画家は、蓊鬱おううつたる草木を描きながら、一刷毛ひとはけも緑の色を使っていない。蘆あしや白楊ポプラアや無花果いちじゅくを彩いろどるものは、どこを見ても濁った黄色きいろである。まるで濡れた壁土のような、重苦しい黄色である。この画家には草木の色が実際そう見えたのであろうか。それとも別に好む所があって、故意ことさらこんな誇張こちょうを加えたのであろうか。――私はこの画の前に立って、それから受ける感じを味うと共に、こう云う疑問もまた挟さしはさまずにはいられなかったのである。

 しかしその画の中に恐しい力が潜んでいる事は、見ているに従って分って来た。殊に前景の土のごときは、そこを踏む時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど的確に描かいてあった。踏むとぶすりと音をさせて踝くるぶしが隠れるような、滑なめらかな淤泥おでいの心もちである。私はこの小さな油画の中に、鋭く自然を掴つかもうとしている、傷いたましい芸術家の姿を見出した。そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この黄いろい沼地の草木からも恍惚こうこつたる悲壮の感激を受けた。実際同じ会場に懸かっている大小さまざまな画の中で、この一枚に拮抗きっこうし得るほど力強い画は、どこにも見出す事が出来なかったのである。

「大へんに感心していますね。」

 こう云う言ことばと共に肩を叩かれた私は、あたかも何かが心から振い落されたような気もちがして、卒然と後うしろをふり返った。

「どうです、これは。」

 相手は無頓着むとんちゃくにこう云いながら、剃刀かみそりを当てたばかりの顋あごで、沼地の画をさし示した。流行の茶の背広を着た、恰幅かっぷくの好いい、消息通を以て自ら任じている、――新聞の美術記者である。私はこの記者から前にも一二度不快な印象を受けた覚えがあるので、不承不承ふしょうぶしょうに返事をした。

「傑作です。」

「傑作――ですか。これは面白い。」

 記者は腹を揺ゆすって笑った。その声に驚かされたのであろう。近くで画を見ていた二三人の見物が皆云い合せたようにこちらを見た。私はいよいよ不快になった。

「これは面白い。元来この画はね、会員の画じゃないのです。が、何しろ当人が口癖のようにここへ出す出すと云っていたものですから、遺族いぞくが審査員へ頼んで、やっとこの隅へ懸ける事になったのです。」

「遺族? じゃこの画を描かいた人は死んでいるのですか。」

「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死んだようなものでしたが。」

 私の好奇心はいつか私の不快な感情より強くなっていた。

「どうして?」

「この画描えかきは余程前から気が違っていたのです。」

「この画を描いた時もですか。」

「勿論です。気違いででもなければ、誰がこんな色の画を描くものですか。それをあなたは傑作だと云って感心してお出いでなさる。そこが大に面白いですね。」

 記者はまた得意そうに、声を挙げて笑った。彼は私が私の不明を恥じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無駄になった。彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛げんしゅくにも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。私は悚然しょうぜんとして再びこの沼地の画を凝視ぎょうしした。そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁しょうそうと不安とに虐さいなまれている傷いたましい芸術家の姿を見出した。

「もっとも画が思うように描けないと云うので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです。」

 記者は晴々した顔をして、ほとんど嬉しそうに微笑した。これが無名の芸術家が――我々の一人が、その生命を犠牲にして僅に世間から購あがない得た唯一ゆいいつの報酬ほうしゅうだったのである。私は全身に異様な戦慄せんりつを感じて、三度みたびこの憂鬱な油画を覗いて見た。そこにはうす暗い空と水との間に、濡れた黄土おうどの色をした蘆あしが、白楊ポプラアが、無花果いちじゅくが、自然それ自身を見るような凄じい勢いで生きている。………

「傑作です。」

 私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然としてこう繰返した。

(大正八年四月)

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作者:Mr李
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来源:TechFM
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THE END
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