四季 荒垣秀雄
四季
荒垣秀雄
大自然诚实无比,一闻三月之声,则明显春意渐浓。想到冬季多少也可起点保温作用,便将秋季枯花萎草留于地面,这时却突然显得杂乱无章。除去枯花萎草,地下又纷纷长出新芽。在某一固定的地方,某一固有的生命如约而生,的确令人兴奋。为了不踩到那新芽,于是竖了记号牌,果然,长出两片嫩叶。即使那家的主人忘却了这些,但是春芽却不忘自然的公约,仍然破土而出。
梅花的花季虽因地区不同而有早迟之别,但是即便在北国,也该开始绽蕾开放了。白梅也有发青或发红的各个种类,可其美艳却各有千秋。白梅在阴雨欲降的阴天尤为艳丽。所谓的"花曼",是指樱花盛开之季,由于水蒸气增多天空出现微阴的天气,不过,与阳光灿烂的晴天相比,还是阴天花色更为鲜艳。白梅也是在像安藤广重画上的那种蓝色衬上微阴的天空,它的白色才越发鲜艳,且更具一种安谧色彩。
前些日子,(笔者)于此栏曾写道,也许是因去年多雨的缘故吧,水果都缺少甜味。作为其原因之一,笔者外行地讲也许是由于雨水冲走了肥料的缘故。于是,各地读者纷纷来信,众多的意见均说这是由于雨水多的年份日照不足的缘故。植物从根部吸上来水和空气中的二氧化碳在阳光的作用下生成糖分。据说由于雨水偏多,日照一减少,这种光合作用也随之减弱,而糖分和淀粉的生成量也就自然减少。
一般来讲,按理说新米要好吃些。可是据说多雨的去年,陈米要比新米的米香味浓得多。桑树叶在同一天里,日落前比日出前的时候,其淀粉的含有量要多些。粘糕片和做日本萝卜咸菜用的白萝卜,在太阳的紫外线下自然晒干比人工烘晒的甜味要浓得多。也有人认为,大城市由于烟雾遮住了紫外线,所有的晒干品其味道都减退了。
从冬至春,阳光灿烂四射。无论是对于植物,还是对于动物,甚至对于人来说,能充分地吸取太阳能量者就会生机勃勃,能有效地多多吸收太阳的能量,就会延长寿命。
(二)
绿色之周开始了。日本的新绿美丽可观,红叶也数日本的漂亮。这倒并非是出自自夸的偏袒立场而言。这是由于日本列岛拥有丰富的植物种类,各种各样的花草树木交织在一起的缘故。就拿"割草"一事来看,在原野和杂树林仅割一坪,与欧美大陆和中国大陆相比,据说日本的植物种类要多得多。
地球在冰川时代,众多的植物消失了。在欧洲,被冰川所迫的植物,由于横贯东西的阿尔卑斯山脉的阻碍,其南下的通路被断绝了。这也可以理解为欧洲中部的植物带种类贫乏之理由。日本列岛几乎见不到欧美大陆可见的那样被冰川覆盖过的痕迹。同时,日本列岛的山脉呈南北走向,植物的南北推移并没有地势上的障碍。因此,当冰川时代的寒冷袭来,北方的植物就向南方疏散,而当气候一变暖,南方的植物又持续北上。
这也可以看做是日本的国土上寒带、热带、温带植物种类繁多地居住在一起且分布极广的理由。这种多样性则使日本的新绿呈现出多姿多彩并富于浓淡变化的美丽。并且,人们也还认为,与西秘法就在于此。欧那种单调的红叶截然不同,构成日本红叶多姿多彩的大自然之甚至连冰川时代都熬过来的日本植物,由于战争以来的乱砍乱伐,目前已经到了再也无法坚持下去的地步了。我们知道,人祸比天灾还要可怕。仅从"割草"来说,种类也许一如从前仍然很多,但是,群山已到了目不忍睹的光秃地步。从苏联和中国回国而来的同胞们,可以毫不夸张地说,都对久别的故国之绿树和鲜花瞠目而视。外国客人也都称赞日本风土的美丽。但是,要从往昔的那种美丽风姿来看,这只不过是荒凉悲惨的河山罢了。
爱国之心并非仅仅是防止外敌的侵略而守卫国土。当人们认识到山川、原野、森林等我们居住的国土是个美丽的国度,这种从切身实际生活中所产生出来的对祖国的热爱之情,会像泉水一样涌出不断。让绿色覆盖住群山和树林,并非单是为国土的美观。不言而喻,这也是为了保护房屋、桥梁、道路不受洪水的袭击,保障日常生活之安全。所以,哪怕是一草一木,也应让绿色的小苗扎根于土壤中。
(三)
大波斯菊花已在东京附近星星点点地开了起来。而在信州和那须高原,一个月前就已盛开怒放。春季的鲜花是从暖国南方开过来,而秋季的鲜花则是从秋季最先光顾的地区登场亮相。东海道沿线,目前龙瓜花正把田埂和山麓染得火红。这也好像是其枯萎前的最后"奢侈"。因为"彼岸"已过去多日。
芒草的花穗在暖国往往是赶不上仲秋的明月的。可在秋风过早来访的高原地带,它却像等待秋风来访的舞台道具似地早早就伸齐了那银灰的花穗。虽说是一片难以处理的杂草,但是,以青青的山峦为背景,芒草的花穗迎风摇曳的情景,也是日本秋季不可缺
杜葛藤一起扎根于河岸和悬岸边的情景,也是秋季的重宝之一。
一直置于不顾的院子里的小菊花也绽出了紧绷绷的花蕾。眼下还很小并发着青色的光泽。虽然开花后就成了不值一顾的庸菊,但是当它还处于这种坚实且闪闪发着光泽的花蕾之际,却是令人欣赏的。这种菊花也如同初春梅花之蕾一样,久久不开,使人格外有想头。
柿子树叶也三三五五地着起了颜色。随着树叶的凋落,柿子本身日照变得充足起来,突然着上了颜色。有的种类已经将树叶全抖落殆尽,不自量力地弯曲着那果实累累的树枝。苹果和柿子都变得一场秋霜一层红了。
处于台风经常通过的地区,落叶树被海风吹得起皱不平。也有人风雅地称之为"台风红叶"等等,但这只不过是极不体面的红褐色罢了。我总有一种惋惜的心情,在台风过后的山野,今年秋天莫非不是赏不到红叶了吗?
秋色越浓越好,本也无可非议,不过,刚步入秋季的初秋则更好。到了晚秋,夜间木板套窗发出令人可怕的"咔当"声,使人心生怯意。但是,那种就像今早刚刚吹过的秋风给人的感觉却新鲜无比。虽说有"浅春"这一说法,可却不说"浅秋"。但我想,秋天还是刚刚起步时有其令人安心接近的长处。
(四)
从九州来的人讲,已到了吃河豚的季节。而据从北海道来的人说,札幌的积雪好像已深达一米之多。东京附近,见霜的早晨也多了起来。时令已到了十二月份。一个人说,"今年又终于到了十二月呀",另一个人接着说,"哪个月都一样哟",可另一个人却说:"不一样呀,年底毕竟是年底"。
从大自然的运行规律来说,秋天之后则冬季来临,天气变冷;冬天之后则春季到来,天气转暖。从人类的社会生活来看,十二月毕竟是一个大的"段落",一年的总决算于此进行。借贷也于年末一次结清。平时借钱不还,此时,则一并还清。这些都是惯例,但却很难事随人愿。一听到"腊月"的脚步声,总是不由地令人心里发慌。
更加激起人们年终慌张心绪的则是年终大甩卖和圣诞节降价,还有工会的"越年斗争"。罢工也成了年终的例行活动。因此,年终"腊月"这一现象就越发变得慌忙。再加上还有忘年会,又有叫做圣诞前夜的狂欢。圣诞节一般一天就结束,可是忘年会却不同,似乎只一次难以忘掉旧年。因此,有钱、有时间又有玩乐癖的人则要参加多次忘年会。
年终的这种慌忙心绪,日本好像居世界之冠。不论是哪个国家,虽说都是到了年末,但决没有像日本这样繁忙慌张的。这也是由于将一年的大事小情都凑到一起的缘故。按西方方式的生活方法,每一周或是一个月小规模地进行结算。日本战后已经变得规模相当小了,但却还远远难脱大规模主义的旧弊,而过于重视"腊月"和"过年"。
还是以"十二月也好十一月也好,都是一个样"的生活方式来生活,似乎能生活得更舒适些。
(摘自于《朝日新闻》天声人语)
荒垣秀雄
(一)
三月の声を聞くと、自然は正直(しょうじき)なもので、目に見えて春めいてくる。秋枯れの草花(くさはな)を、いくらかでも冬の間の保温(ほおん)にと、そのままにしておいたのが、急にむさくるしくなった。取りのけると、その下に新しい芽がニョキニョキと土の中から出ている。あるべき所に、あるべき生命が、約束をたがえず登場してくれるのは、やはりうれしい。ふまないように、目じるしのふだを立てておいたが、約束どおりふたばが出てきた。その家の主人がわすれていたところにも、自然の公約(こうやく)をわすれず春の芽がふいて出た。
うめの開花は、所により、はやい·おそいの差は大きいが、北の国でもそろそろ咲き始めた。白うめにも、青みがかったもの、赤みをおびたものなど、いろいろだが、それぞれに美しい。白うめは、雨もよいの曇日(くもりび)がとくにきれいだ。花曇りとは、さくらの咲くころ、水蒸気(すいじょうき)が多くて空がうす曇りになるのを言うのだろうが、晴れかがやく日よりも曇り日の方が、花の色もあざやかなのである。白うめも、広重(ひろしげ)の絵のあい色に空がくすんでいる日の方が、その白さもくっきりと、安定
(あんてい))した静(しず)けさがある。
先日この欄で、去年は雨が多かったせいか、くだものの甘味(あまみ)がたりないと書いた。その理由の一つに、雨で肥料(ひりょう)がながれたためかとしろうと考えを述(の))べたら、方々から手紙が来て、多雨(たう)の年は日照(ひで)りがたりないからだとの意見が多く寄せられた。植物が根からすい上げた水分と空気中の炭酸(たんさん)ガスとが、太陽のエネルギーによって糖分(とうぶん)を生成する。多雨のため日照りが少ないと、この光合成作用(こうごうせいさよう)もおとろえ、糖分やデンプンの生成量が減退(げんたい)するのだそうである。
普通なら新米(しんまい)がうまいはずなのに、多雨(たう)の去年(きょねん)は新米より古米(こまい)の方が甘味(あまみ)がゆたかだったという。くわの葉は、一日のうちでも日の出前より日没(にちぼつ)の方がデンプンの含有量(がんゆうりょう)が多いそうた。カキモチやタクアンのだいこんも、人工乾燥より太陽の紫外線(しがいせん)でかわかした方が甘味(あまみ)がある。都会地(とかいち)ではスモッグが紫外線をさまたげるので、すべての乾物(かんぶつ)の味がおちたという人もある。
冬から春になって、陽光(ようこう)はさんさんとおどりだしたが、植物にしても動物にしても人間にしても、太陽のエネルギーをふんだんに取り入れたものが、生命力にあふれ、太陽を有効にたくさん食うことが命ながらえることなのだろう。
(二)
緑の週間が始まる。日本の新緑は美しい。紅葉も日本はみごとだ。お国じまんのひいき目から言うのではない。それは日本列島が植物の種類に富み、多種多様の樹木草木が織りまざっているからである。たとえば「坪刈り」をしてみる。原野や雑木林で一坪だけ刈り取ってみると、欧米大陸や中国大陸よりも日本はひじょうに植物の種類が多いそうだ。
冰河时代に多くの植物は死凝した。ヨ一口口ッバでは、氷河とムれ植物が、東西につらなるアルプススの障壁に妨げたれ-の通路をたたれた。それが歐州中央部の植物区系が種類に皮しい理由とされる。日本列島にはよ、欧米大陸に見られるほ氷河をかぶった彩跡はほとんどない。また、日本列島は南北に山派が走っているので、植物が南北に移動するのを妨げる注どの地势上の障害もなかった。それ九で氷河時代の寒冷がおそうと、北の植物は南方に琼開を始め気気候が温暖になると、南の植物は北上をつづけた。
それが、日本の国土に寒帯性,熱帯性温帯性等の植物が多種多瑟に同居して広く分布している理由由だとされる。このバラエティ一が日本の新緑を多彩で濃淡に富富んだ美しいものにする。また、西欧の単調な紅葉とはうって変わわつた、極彩色の紅葉に織りなす自然の秘法も、この辺にあると思われる。
氷河诗代にさえ耐えぬいてきた日本本の植物も、戦争以来の乱伐には、ひとたまりもなか.た。人災災は天災よりもおそろしいとがわかる。坪刈りをすれば、種類類は相変わらず多いかもしれないが、山々は見る影もないはだかかにされた。ソ連や中国から引き揚げてた同胞たちは、久しぶりに見る故国の緑や花の美しきには、かけ値なしに目を見はるる。外来客も日本の風土は美しいと言う。しかし一昔前の風姿姿から見れば、荒れはてた及じめな山河でしかない。
爱国心とは外敵の侵略から国を守るることだけではない。山や川や野や森や、わが住む国土は美しいい国だなあと.思うところから、しみじみとした生活実感に即したた祖国愛が泉のようにわき起こってくる。山や林を緑でおおうこことは、単に国の美観だけのことでもない。家や橋や道を洪水水から守って、日常生活の安住を保障することは言うまでもない。一木でも多く、一樹で多く、緑の苗を土におろした。
(三)
コスモスの花が東京付近でもぼつぼつ朕き始めた。信州や那須の高原では一月も前から朕きみだれていた。春の花は南から暖国から開きそめるのだが、秋の花は秋の季節の早く訪れる土地から登場するわけだ。東海道の沿線では、いまヒガンバナが、田のあぜや山すそを赤くいろどっている。それももうしほむ前の最後のおごりのようである。彼岸はとっくにすぎたのだから。
ススキの穗も、暖かい国では仲秋の名月に間にあわぬが、秋風の早く訪れる高原地帯で、秋風を待つ舞台装置ででもあるかのように、銀灰色の穗並を早くからそろえる。始末におえぬ雑草だが、青い山波を背景にススキの穗のそよぐのは、日本の秋になくてはならぬ風物だ。それに竹やクズ(葛)とともに川岸やがけっぷちの土を根で固めるのが重宝でもある。
ほったらかしにしてある庭の小菊もぴっちりとつぼみを膨てきた。まだ小さくて青くつやつやしている。花を開いてみるとつまらない菊なのだが、堅くてつややかなつぼみのうちもょしみだ。これが、春先のうめのつぼみのように、なかなか開かず、ひとかたならず気をもたせる。
カキの葉も三枚五枚と紅葉し始めた。葉が落ちるにつれてカキの実は日当りがよくなり、急に色づいてくる。種類によってはもうすっかり葉をふるい落として、身のほども知らずにすずなりの枝をたわめている。リンゴもカキもひとしもごとに赤い刷毛を加えてゆく。
台風の通り道にあたった地方は、落葉樹が潮風にもまれてちちれてしまった。「台風もみじ」などと風流な言い方をする人もあるが、赤茶けて見ぐるしい姿だ。台風の通った山野では、この秋は美しい紅葉が見られないのではないかと、おしい気がする。秋色が深まれば、それはそれでいいが、浅いうちの秋もよい。秋も晚秋になると、ゴトンと雨戸が夜中に不気味な音を立てたりして心細くなるが、けさから吹き始めたばかりのような秋風は、感覚的に新鮮である。浅春ということばはあっても、浅秋とは言わぬが、秋も浅いうちが、心やすくつきあえるよさがある。
(四)
九州から来た人は、ふぐのうまい季節になりました、と言った。北海道から来た人は、札幌にはもう1メートルも、雪がつもり根雪になりそうです、と言った。東京付近でも、しもの朝が多くなった。もう十二月になった。「ことしもとうとう十二月だね。」と一人が言ったら、「おんなじことだよ。」と他の一人が言った。「おんなじじゃないよ、暮れはやはり暮れだよ。」ともう一人が言った。
自然の歩みから言えば、秋の次に冬が来て寒くなり、冬の次には春が来て暖かくなる。人間の社会生活から言えば、十二月はやはり一つの大区切りで、一年の総決算になる。貸し借りも年末にはいちおうきれいにする。平素の不義理も一まとめにしてお義理を果たす。そういうしきたりなのだが、なかなか思うようにならず、師走の声を聞くと、なんとなく心せわしい。
師走気分をさらにあわただしくかき立てるのは、商店の歳末大売出しやクリスマス=セール。それに労動組合の越年闘争。ストも年末行事化として、師走というものがいっそうあわただしいものとなった。おまけに忘年会がある。クリスマス=イブという名のどんちゃんさわぎがある。クリスマスの方は一日ですむが、忘年会の方は、一回だけでは年忘れができぬとみえて、金とひまと遊興ぐせのある人は何度でもやる。
歳末のあわただしさでは、日本は世界に冠たるものがある上うだ。どこの国でも年末だからといって、日本ほど忙しくあわただしくする所はない。それは一年じゅうのしわ寄せを全部年末に持っていくからでもある。西洋流の暮らし方では、一週間とか一月ごとに小じわで始末してゆく。戦後の日本はよほど小じわ主義になってはきたが、まだまだ大じわ主義の旧弊がぬけきらない。師走だ越年だと重大視しすぎる。
やはり、十二月だって十一月とおんなじことだよ、という生活法にした方が、もっと気楽に暮らせそうである。
[朝日新聞「天声人語」、荒垣秀雄の文による]
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